2012年 07月 25日
母を連れて来ましたよ!
63歳という中途半端な年齢になってしまいました。
これからも、健康に気をつけて色々なことがあると思うけど
まだまだ老け込まないで、頑張ります。
自分の誕生日を忘れるくらい、母の事で頭がいっぱいだったかも!
一か月ぐらい前までは、もうすぐ誕生日だと覚えていたのに。
母の病院から、母の転院の事を言われてからと、先日は一時帰宅も
言われて、やることがいっぱいになって自分の事が飛びました。
約束通り、今日の午後の面会時間に合わせて、家を出発。
1時帰宅の時間は、午後3時だったので、午後2時半に着くようにした。
姉も一緒に行くと言うので、姉を自宅まで迎えに行き、出かけた。
本人は、意外と記憶がシッカリしてて、「来たよ」って言うと
今日が帰宅の日と分かっていて、自力で起きようとする。
だけど、腕がプルプルと震えて、力も入らないようで、結局起きれない。
私が、後ろに回り、首ネックを抱えて起こした。
入院した時は救急車だったので私服は、無かったのです。
だから夏用の私服を持って行き、病院着から私服に着替えさせました。
そこに担当看護師が入って来て、お洒落した母を見て驚いてました。
「わ~~~格好いい!」って。
昨日、母の部屋の掃除をしたとき、姉がコーディナートしたんです。
私の車に乗せましたが、シートを倒してやや寝かせ気味にして楽な姿勢に。
新しい車になったのにも気が付かないのか、何も言いませんでした。
久しぶりの我が家へ帰って来ましたが、夕食は姉が作ってくれました。
母は、ずっと、味が薄い病院食ばかり。
姉が、頑張って、栄養のバランスを考えたメニューを作ってくれました。
病院では、テレビはいっさい見なかったとのことで、約3か月ぶりに見せた。
足が見えてるのは、姉の足です。
姉が傍にいて良かったとつくずく思います。
午後6時に夕食を食べさせました。
手が震えて箸が持てないと言う母にフォークを持たせて自分で食べる練習をさせました。
母は、一応、美味しいって食べましたが、量的には、ごはんは茶碗3分の1。
おかずは、全体の5分の1ぐらいしか食べれなかった。
そして、食べさせたのは、ダイニングテーブルじゃなく、リビングのテーブルで
柔らかいソファーに座って食べさせました。
椅子に座るのもキツイと言ってますから。
食後、姉を自宅まで送ってきました。
その間は、母は1人です。
ちょっと心配だけど、1人でテレビ見ててって、姉と家を出た。
姉を送って自宅に帰ったら、1番大変って思っていたトイレに行きたいと言う。
「いや~~遂に来たか」これが1番心配だったのです。
1人で起きれない母を起こして、手を取って、そろりそろりといざトイレへ。
母は、便座に座るのもままなりません。
中腰で踏ん張れないので、中途半端にドスンって寝間着のまま座ってしまいます。
もう1度、両腕を抱えて立たせて、寝間着の下を下ろし、次に紙おむつを
はがして、便座の中央に抱えて座らせ、トイレをさせました。
何かあったら大変なので、トイレのドアは、開けっ放しでさせました。
じっと見てるのも何なので、トイレの横で待ってました。
終わったと言うので、下は自分でティッシュで拭かせました。
そして、新しい紙おむつを私がはかせましたが、これがまた大変です。
股を広げさせ、パットを入れて紙パンツをはかせ、そしてずりあげます。
その後、寝間着の下をあげました。
そして、食後に飲ませなければならない薬があるので、飲ませたが
これが4袋もあるじゃないですか?
母も大変だな~~って思ってしまいました。
先ほど、リビングから母の寝室のベットに寝かせましたので、このブログを書いてます。
9時ごろ飲ませる薬があるので、それが終われば今日が終了する。
姉が食事を作ってくれたから良かったけど、姉がいなかったら私が総てやらないといけない。
やっぱり、寝たきりの自宅介護は本当に大変だと実感しました。
わずか1日だけの試験帰宅だから出来るけど・・・・・・。
ある意味、忘れられない誕生日でしたねm(__)m
そうだね!
時間が経った数年後、私の誕生日の中でも、
1番思い出深い誕生日になったかもしれません。
年齢63歳になったから、「お袋、今日は俺の誕生日だよ」
「63年前の今日、俺を生んでくれたんだよ」って話しました。
母は、一瞬、キョトンとした顔をしてましたが、目が笑いました。
母も感慨深い気持ちになったのでしょう!
その後、またトイレに行きたいと起きました。
やっぱり、これが1番大変だよ。
想像通りでしょ。此れを毎日、付きっ切りでやりながら買い物もしなくてはならない。多分無理ですよね。
此れを在宅介護として薦めているのは、単なる施設が少ない、患者も家庭が一番と言う理由でやっていますが。
それ以前に介護する人が途中、介護の会社の人が来ますが大変で無理のようですね。家族が参ってしまいます。
折角のお誕生日、思いで深い日でしたが大変お疲れ様でした。
63歳の誕生日おめでとうございます。
そしてお母さんの帰宅、良かったですね。
ai さんの様子が手に取るようにわかりました。
よくそこまで出来ましたよねー、感心します。拍手を送りたいです。
お母さんも安心してくつろげたのではないですか!?
私の母はもう自宅に帰ることはないと思いますので感慨
深いです。
お疲れ様でしたがいい誕生日になりましたですね。
暑い日が続きます、ハワイアンも続きます、どうぞ身体に気をつけてご自愛くださいますように。
朝の介護の作業がひと段落したので書いてます。
朝の食事の準備をし、朝ご飯を食べさせました。
朝の5時に起こされてから、ウトウトしましたがそのまま
起きてます。
3時間ぐらいしか寝てません。
介護のヘルパーさんの応援があったとしても、長く続けたら
私が確実にパンクします。
たかが1日だけでも、もうグダグダですよ!
今、食後の薬を飲ませて、心臓の薬で胸に張るのが
ありますが、寝間着のボタンも外せません。
いま、リビングのソファーに寝かせてますので、返事を書いてます。
介護のいい勉強が出来てます。
記憶がハッキリしている段階で、記録に残す意味もあって
詳しく書きました。
姉が帰った後の私1人になった後はやっぱり不安だったです。
そして、トイレって言われた時は、覚悟を決めました。
母の下着を降ろす瞬間、ちょっとためらいました。
母にしてみれば、どんな気持ちだったのでしょう?
きっと、自分で出来ないもどかしさ、情けなさ、いろいろな
気持ちが交差したことでしょうね。
母は、くつろぐより、横になっていたかったみたい。
だから、リビングのソファーでまず寝かせました。
そしたら、井草の匂いがしたので、「涼しい感じの綺麗な
リビングになったね」って言ってくれましたが、バッタリと横になったままでした。
あとで書きますが、朝も大変でした!!
私にはとてもマネできないですね。
7月に入って忙しく、体調を崩してしまいました。
大分快復しましたが、2週間ほど酒を断っています。
暑さが続きます。aibikiさんもお身体にご注意下さい。
熊本県の大雨は被害は無かったですか!
師匠のN岡さんに私のバンドのリーダーが電話したようです。
今回の母の帰宅は、本当にくたびれました。
私もダウンしそうです。
気合で頑張ってる気がします。
体調を壊しましたか!
一見、 HAZAMAさんは細いし、体力的に スタミナを
心配します。
どうぞ、夏に向かい、暑さで只でさえ体力を消耗します。
無理しませんように!