2014年 03月 24日
ドロ神父!(外海地区の神様みたいな人)
ドロ神父に関するものを多く目にします!
ドロ神父って、いったい何者? そう思う人が多いのじゃ?
私だって、知らなかった!
高校生までしか、長崎にいなくて、大学から東京へ出たので、長崎のことは
ほとんど知らなかったですよ!
親の介護のために、長崎へUターンしてから、再度、長崎の歴史や史跡を勉強したんです!
そして、外海だって知らなかったし、行った事もなかった!
50歳を過ぎて初めて外海に行ったら、そこにドロ神父の銅像が建ってました!
ドロ神父を知ったのは、その時でしたよ!
そこの外海では、ドロ神父のことを、敬愛と尊敬だと思いますが、ドロ様と呼ぶ!
外海地区の人からすれば、神様みたいな人、ここで、ドロ神父の経歴を紹介しておきます!
ドロ神父は、1840年に、フランス・ノルマンディー地方のヴォスロール村で生まれる!
バイユ神学校を卒業後、パリ外国宣教会に入会、1868年(慶応4)に宣教師として
28歳で日本へ来てます!
長崎、横浜を経て、外海の出津教会主任司祭となり、貧困にあえぐ外海の為に
沢山の社会福祉、産業開発などに力を注いでまして、74歳で亡くなるまで
46年間を日本で過ごしてますが、うち33年間は外海のために尽力つくしてます!
その間、1度も母国フランスには帰らず、「外海の人々を貧しさから救いたい」一心で
日本に骨を埋めてます!
彼の母国フランスから、なんの関係も無い日本、その日本の端にある長崎、
そしてさらに寒村の外海、この地の為に一生を捧げた感じのドロ神父!
外海の皆さんは、こんなドロ神父のことを、今でも「ドロ様」と呼んでます!
当時からずっと愛されるドロ神父って、凄い人ですよ!
私は今回かみさんからドロ様の話を聞きました。
大変聡明で地域に貢献されたんですね。
当初、このパンフを見たとき日本ではないような感覚で此れって?という所からです。
私は、ここの場所に行ったのは、完全に中年になってから!
だから、まったく勉強不足状態でした。
長崎からけっこう離れているし、昔は狭い道路しかない
陸の孤島的で人の交流もあまり無かった所です!
だから、隠れキリシタンが住んだんだと思います!
そこにいたドロ神父の話も知らなかったんです!
例の「沈黙」の舞台になった地域だから、その小説とドロ神父が
ダブって、不思議な感覚になったものです!
カトリックの人からみれば、ここは聖地かも知れません!