2016年 04月 10日
松平康英 ・長崎奉行の切腹!
一度長崎奉行を務めれば、子々孫々まで安泰な暮らしができると言われた。
長崎奉行は公的収入よりも、余得収入の方がはるかに大きいためだ。
すなわち、輸入品を御調物の名目で関税免除で購入する特権が認められ、
それを京・大坂で数倍の価格で転売して莫大な利益を得たと言う。
加えて舶載品をあつかう長崎町人、貿易商人、地元役人たちから
八朔銀と呼ばれる献金(年72貫余)や清国人・オランダ人からの贈り物や
諸藩からの付届けなどがあり、もうウハウハ状態!
そのため、長崎奉行になりたいとして、事前の就任運動で金品がかなり動いたようだ!
そんな長崎奉行にせっかくなったのに、長崎の地で切腹した人物がいる!
それが、文化4年(1807年)1月30日、長崎奉行に就任した松平康英です。
当時、日本では長崎のみ、中国とオランダの貿易を認めていたが、
イギリス船フェートン号がオランダ船拿捕の為にオランダ国旗を掲げて長崎港に入り、
オランダ商館員2人の捕縛・長崎港内の捜索を行なう事件を起こした(フェートン号事件)。
当時、長崎警備をしていた佐賀藩は、初めての有事になにも出来ず!
フェートン号側から薪水と食料を提供しなければ長崎港内の船舶や長崎の町を
焼き討ちすると脅迫を受けたため、やむなくこれに従う。
松平康英 は、他国の脅迫に屈してしまった国辱の責任を取り、切腹して自害。
当時、兵力を減らしていた鍋島藩家老等数人も責任を取って切腹。
さらに幕府は、藩主鍋島斉直に100日の蟄居を命じている!
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この話は初めて聞きました。
文化の時代はオランダ、中国、朝鮮しか入港ができなかったが
各地でロシア、イギリス、仏蘭西と寄港したい要望があり幕府は権力も財政上の体力が弱っていた時期でしたがかわいそうな事でしたね。
「フェートン号事件」は聞いたことがあります。
「他国の脅迫に屈してしまった国辱」・・・これはやはり大きな国の恥、それなりの責任はとらなければならないと思います。
甘い汁だけ吸って、責任はとらないって・・・これは許せません。野球賭博も然り、カジノ問題も然り・・・
可哀想でも何でもありません、当たり前ですね!
この事件は、フェートン号事件と言って、かなり有名です!
司馬遼太郎も本に書いてるくらいです!
この時期は、本国のオランダが戦争に負けて、
征服されていた時期で、国として機能してない時代
だったかもしれません!
そうですか!
知ってますか!
ま~突然起こった初めての事件だったのです!
この長崎奉行は、ほんとは断固として戦いたかったようです!
だけど、佐賀藩の長崎警備の人数んも少なくて、まわりが
止めたようですね!
だけど、責任をとって、切腹してます!
長崎の民衆は、街が焼き討ちに合わなかったので感謝してます!