2016年 06月 28日
「長崎ブルース」は4つもある!
長崎ブルースじゃないでしょうか!
累計売上は76万枚を記録したようで、その後、東映で映画にもなってる!
この「長崎ブルース」は、同じ曲名で違うのが、合わせて4曲出ています。
ちなみに、長崎の歌では、同じ曲名だけど違う曲ってけっこうあるんです!
同じ曲名で異曲は珍しいことではありません。
例えば、 「長崎慕情」と「長崎みれん(未練)」と言う曲名で各8曲もあるんです!
では、その長崎ブルースの4つを紹介しましょう!
1曲目は、長崎の鐘で有名な藤山一郎の「長崎ブルース」
(昭和29年=1954、藤浦 洸・作詞、古賀政男・作曲、藤山一郎・歌)
Youtubeで曲を見つける事が出来ました、こんな曲でした。
2曲目 ディック・ミネの「長崎ブルース」
(昭和29年=1954、大高ひさお・作詞、宮脇春夫・作曲、ディック・ミネ・歌)
残念ながら、Youtubeで見つけることは出来なかった!
3曲目 天ヶ瀬美和の「長崎ブルース」
(昭和42年=1967年、小島胡秋・作詞、伏見竜治・作曲、天ヶ瀬美和・歌)
残念ながら、この人の曲は聞いたことはないです!
調べたら、この女性歌手のデビュー曲だったようで、ヒットしてません!
4曲目.青江三奈の「長崎ブルース」
(昭和43年=1968、吉川静夫・作詞、渡久地政信・作曲、青江三奈・歌)
本当は3番までありますが、これでは2番までです!
「思案橋ブルース」に1カ月遅れて出た青江三奈さんの「長崎ブルース」は
東京の作詞家、吉川静夫(よしかわしずお)さんが作詞したものです。
吉川さんは長崎取材の際、そぞろ歩きしながら町の空気や人情を酌み入れたそうです。
1番から思案橋を歌っており、「思案橋ブルース」とともに、思案橋の名を全国に広めました。
作曲の渡久地さんも若い時、長崎に住んだことがあり、著書によると、この歌の作曲では、
丸山界わいを冷やかしながら歩いたことなどを思い出し、長崎の色っぽさを盛り込んだそうです。
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古賀政男、藤山一郎、ディック・ミネ、青江三奈さんの名前は知っています。
青江三奈さんの「長崎ブルース」はなんかどこかで耳にしたような記憶があります。
父がよく歌謡曲の歌番組を見たり、聴いたりしていたのですが、リアルタイムの昭和43年頃の記憶ではなく、多分、大人になってから「懐メロ」番組か何かで聴いたような・・・f(^^;
やはり思案橋、丸山の地名が印象に残っていますね。
遊郭があった場所なので、色香や恋愛、別れと言った人間模様を、歌の題材にし易いんでしょうね。
丸山は、入社2年目頃、飲めないのに仕事のストレス解消のために毎週末飲みに行ってました・・・(汗)
今では体力とお金がないので絶対にできません(笑)
青江三奈と言えば「長崎ブルース」より「伊勢佐木町ブルース」の方が強烈な印象があります。女性にしては低音で独特のハスキーボイスは、今聴いても個性的ですよね。同じ曲名で違う曲がこんなにあるんですね。曲の一部でも同じだと盗作で大問題になり、曲名だと問題にならないのは分かりますが、何か混乱しますよね。(ー ー;)
そうなんですか「長崎ブルース」を歌ってる人が
4人もいるとは…初耳で驚きました。
いままでハスキーボイスの青江三奈の歌しか
思い出しません。それにしても同じ題名で
発売とは業界では珍しいことですね。
若いころに彼女の舞台を見ましたよ~。
会社の慰安旅行でびわ湖温泉・ホテル紅葉へ
ここは遊んで食べて温泉に入ってショウも見られる
ところで特にジャングル温泉が有名でした。
楽団をバックに金髪の独特のヘアスタイルで…
色っぽい吐息で伊勢佐木町ブルース・
長崎ブルースなどを披露してました。
鬱陶しい雨が続きますが、そちらはどうですか?
そして、この青江三奈の長崎ブルースは私が大学1年生
のころの曲ですね。
だから、リアルタイムでバッチリ聞いてました!
森進一と一緒ぐらいに出て来て、2人ともだみ声だけど
当時は珍しくて、ビックリしたものです。
あなたが、丸山界隈を飲み歩いていたなんて?
飲まない人が、フラフラと丸山へ行っても面白く
無かったのでは!
私は、リアルタイムで聞いてましたが、このダミ声は
当時は本当に珍しい歌手で、それまでは存在しなかった
歌手でしたね!
歌手と言えば、綺麗な声じゃなきゃダメと言われてましたから!
森進一が男、青江三奈が女だけど、2人の声だけ
聞いていると見分けがつかなったものです。(笑)
世間では、2人は姉弟の兄弟かって言われたくらいです!
長崎と付く曲は、ほんといっぱい。
戦前から続き昭和の終わりくらいまではほんと
色々な長崎ものが歌われました。
そりゃ、同じ曲名が出て来ますよね!
当時は、歌謡曲全盛!
レコードしか曲は聞けないから、音楽産業は潤いました!
1曲ヒットすると、レコード会社のビルが建つと言われた時代。
歌は楽しみの手段だったように思います!
そうですか!
生の青江三奈を見た事があるんですか?
それはそれは、いい思い出が残ってますね!
青江三奈の歌は解りますが他は余りこの曲名ではピンときません。青江三奈と森進一同じ頃のデビューだったんでしょうか変な声の歌い手さんだと第一印象では思っていました。
長崎と名前の付いた歌は、数え切れないほどありますねー・・・!
青江美奈のこの歌は、リアルタイムで聴いていました。つられて、大好きな春日八郎の「長崎の女」と、瀬川瑛子の「長崎の夜は紫」を聴きました。
ついでに、前川清の「長崎は今日も雨だった」も・・・
長崎の歌はホントに多いです。
歌は世につれ、世は歌につれ・・・ですねー!
聴いた当時のことが鮮やかによみがえります。
それにしても昭和の時代はよかったー!そしてなつかしいです。
お年寄りが「むかしはよかったー」ってよく聞きましたが、それを言う年代になったということですかねー・・・汗!
パパリンさんだけじゃなく、ほとんどの人が
青江三奈の長崎ブルースくらいしか知りませんから!
藤山一郎さんは、長崎に公演に来た時には歌ったそうです!
ほんと森進一と青江三奈は同時期のデビューだったから
変な声の歌手が出て来たな~って思ったものです。
長崎の歌は、いっぱいありますが、それは
歌謡曲が全盛だった昭和の時代までですね!
それまでは、戦前、戦中、戦後といっぱいありますね!
私が大学で上京した頃に長崎ブームがありました。
Nさんが書いてくれたように、長崎は今日も雨だった、
思案橋ブルース、長崎の夜は紫など続けてヒットしまして
お陰さまで、ホームシックになったくらいです。
今は、まったくヒット曲はでませんけどね!