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「天正遣欧少年使節」千々石ミゲルのその後

「いつどこで死んだのか、どんな晩年であったのか、すべて謎。」
と書きましたが、実は数年前、千々石ミゲルの墓と思われる石碑が長崎の
伊木力と言うみかんの産地がある地域で発見されたのです。
その石碑に「玄蕃」と書かれている。

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発見された千々石ミゲルの墓と思われる石碑。

私は、歴史が興味深いものだと気が付いてから、10年ぐらいしか経っていない。
日本史は昔から好きだったが、漠然と年代の移り変わりと、その時代の
臭い、雰囲気を少し理解する程度に留まっていた。
キッカケは、長崎へUターンしてから、長崎の事を全くしらない自分に
「こりゃまずい」「長崎及び日本の歴史を勉強しないと」そう思ったのがキッカケ!

話を元に戻しましょう。
墓石の裏には、千々石玄蕃と刻まれていたので、地元では、「げんばさんの墓」と
呼ばれている。
石造物の研究家、大石一久氏が、この墓石の鑑定を依頼され、
井出家の敷地内にある石を鑑定する。

ミゲルは天正の遣毆少年使節の正使として、日本に帰国後、数年の後に
キリスト教を棄教し法華宗に還俗して、清左衛門と改名したことは書きました。
その後、妻をめとり、4人の子供を授かる。
そして玄蕃は4男である。

その発見時の様子を書かれた資料がありましたのでご覧下さい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「これは・・・」興奮と、まさかという思いが広がってくるのを抑えきれなかった。
こういう風に裏に亡くなった人の名前を刻むことはありえない。
玄番は、この墓を作った施主だ。
「これは、玄番の墓ではないと思います。」震える声でそういった。
「これは・・・・玄番の両親の墓だと思います」
その場にいた人々が一瞬静まり返り、ついでどよめきが広がった。

「玄番の両親といえば、千々石ミゲル夫妻・・・。間違いないですよね」
長崎に逃れて以来消息不明となった、ミゲルの墓石が
今目の前にあるというのだろうか。
驚きがおさまったころ、一同沈黙する中で井出さんが口を開く。

「そういえば・・・・。玄番の墓にしてはおかしいんですよね。
この墓には、大村に非常に恨みを持って死んだ人物が
葬られていると言い伝えられています。
常に、大村をにらみつけていられるよう、大村に向かって墓を立てた、と。
だけど、玄番自身は、大村藩に仕えて、一生を終えています。
大村に恨みを持っていたはずはないと思うんです。」

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大村を向いて建っている石碑。

この墓がミゲルの墓だとしたら・・・・。その言い伝えともつじつまが合う。

墓石は自然石で、高さ1.8メートル。幅1.2メートル。この大きさは、
江戸時代の墓石の特徴だという。
表面には「妙法」の文字。妙法とは、法華宗を意味する。
その下に、「寛永九壬申年十二月(没年月)」「本住院常安霊(男性の戒名) 
十四日」「自性院妙信霊(女性の戒名) 十二日」
と刻まれている。

・・・・・・・・・  大石一久著「千々石ミゲルの墓石発見り   ・・・・・・・・・・・・・・・・・


ミゲルは大村藩主、従兄に当たる喜前(よしあき)に500石の家臣として召し抱えられる。
与えられた土地が、伊木力だった。
喜前は、元キリシタン大名、ミゲルが長崎に帰国した際、迎えに来たキリスト教徒だ。
この墓石からは、多くのことが偲ばれる。

父・大村純忠は、日本で最初のキリシタン大名なのに、その息子・喜前は、その後、
藩内に於けるキリスト教徒の弾圧を強化し、キリシタン墓地に至るまで、その墓を暴き、
骨を取り出しては、大村湾に沈める程の、徹底ぶりだったと聞く。

喜前は、キリシタン弾圧の汚名を、ミゲルに押し付け、又その命さえもねらった。
有馬、長崎と逃亡生活の末、ミゲルの消息は途絶えたのです。
この時代、キリシタン達は巧妙にその難を逃れ、隠れキリシタンとして、
法華宗を隠れ蓑として、生き延びて行ってるのです。
棄教した原因については、様々な原因が、探られている。
  
ひたすら、自分の名前をも隠し,キリスト教弾圧と、キリスト教徒からは
裏切り者と蔑まされ生き延びていたであろう。
こんな所にミゲルが眠っていたんだ!

私が住んでるところから、わりと近くにある。
一度、見に行きました。
墓石の前に立った時、まだ私でさえ行った事のないヨーロッパを400年も前に
旅した少年の一人が眠っていると思うと暫しボー~~と立ちすくむだけでした。

参考文献】

天正遣欧少年使節とその時代、大石一久さんの資料
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by aibiki2009 | 2011-10-30 18:41 | 歴史っぽいお話 | Comments(8)  

「天正遣欧少年使節」パート最終回

1586年2月末、リスボンを出港して帰路につき、1588年6月19日マカオに着いたが、
関白秀吉による禁教のため、4人は入国出来ず、マカオで帰国の入国許可を待って、
1590年7月28日、やっと8年半ぶりに帰国してます。

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「天正遣欧少年使節」の碑は、大村市にあります。
大村湾の島に作られた長崎空港へ渡る橋が有りますが、その入り口にあります。



翌1591年(天正19年閏1月8日)に謁見した使節らは、秀吉から高禄での仕官を
のぞまれたが丁重に辞退した。
そして帰国した四人は、その後全員が天草コレジオのイエズス会に入会し、
司祭をめざして勉強することになる。

正史・伊藤マンショのその後

四人の少年の中で最年長。
帰国後、1591年天草の修練院でイエズス会に入会。
1601年には神学の高等課程を学ぶため、マカオのコレジオに移る。
その後マカオで神学を学び、1608年長崎で司祭となる。
布教活動の長旅で体を壊し、1612年、四十三才で長崎にて病死する。
しかし、キリシタンへの弾圧を受けて、その墓地は破壊されて、
骨は捨てられたと伝えられます。

正史・千々石ミゲルのその後

4人の中で、ミゲルだけが10年後にイエズス会を脱会。
名を千々石清左衛門(せいざえもん)と改め、妻帯し子を設けた。
千々石ミゲルはキリシタン側からみれば背教者であり、裏切り者で大敵となる。

しかし、キリシタン禁制の流れの中で、同じくキリスト教を棄教し
弾圧に乗り出した大村藩の初代藩主、大村喜前(よしあき)。
(大村純忠の子供なのでミゲルにとっては従兄弟にあたる。)
この喜前からも、命を狙われるような目にあう。

ここを逃れてさらに頼って行ったのが、これまた従兄弟の有馬晴信。
ここは大村とは反対にキリシタンの保護区のようなものだから
憎い背教者めということで、やはり瀕死の重傷を負わされたという。

かつてローマ教皇の抱擁と接吻を受けた栄光の人物は、いまやキリシタンからも
反キリシタンからも逃げ惑う故郷喪失者、その名を口にすることもはばかられる
タブーのような人間になったのである。
いつどこで死んだのか、どんな晩年であったのか、すべて謎。

副使・原マルチノのその後

1608年長崎で司祭となる。
布教活動を行うが、徳川幕府の禁教令によりマカオに脱出。
1629年マカオにて病死する。
彼の遺骸はマカオの大聖堂の地下に生涯の師ヴァリニャーノと共に葬られた。

副使・中浦ジュリアンのその後

同じく、1591年天草の修練院でイエズス会に入会
司祭になったジュリアンは博多で活動、その後領主黒田長政に追われ長崎へ。
その後20数年、各地で地下活動し、小倉で捕まる。
その後、長崎へ送られ穴吊りの刑に処せられたのです。
65年の生涯だったのです。

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中浦ジュリアンの記念公園です。

以上が、「天正遣欧少年使節4人」のその後でした。

帰って来て見たら、日本はキリシタン弾圧の地に。
彼らの華やかな時は終わり、苦悩の時へと変わって行ったのです。
彼らは運命をどう思ったのでしょう?
前半が華やかだっただけに、そのギャップが凄まじいと思うのは私だけじゃないと思う。

しかし、1人だけ離教した千々石ミゲルのその後がハッキリしないのは
どうも、スッキリしないじゃないですか?

その千々石ミゲルをもう少し掘り下げて調べてみたい。
だから、続いて「千々石ミゲル」のその後を書きます!

延長戦に入ります

参考文献
「完訳フロイス日本史」(中公文庫) ルイス フロイス (著) 松田 毅一 (翻訳) 川崎 桃太 (翻訳) 全12巻
 1 織田信長篇Ⅰ「将軍義輝の最期および自由都市堺」(中公文庫,2000年1月)
 2 織田信長編Ⅱ「信長とフロイス」(中公文庫,2000年2月)
 3 織田信長篇Ⅲ「安土城と本能寺の変」(中公文庫,2000年3月)
 4 豊臣秀吉篇Ⅰ「秀吉の天下統一と高山右近の追放」(中公文庫,2000年4月)
 5 豊臣秀吉篇Ⅱ「暴君秀吉の野望」(中公文庫,2000年5月)
 6 大友宗麟篇Ⅰ「ザビエルの来日と初期の布教活動」(中公文庫,2000年6月)
 7 大友宗麟篇Ⅱ「宗麟の改宗と島津侵攻」(中公文庫,2000年7月)
 8 大友宗麟篇Ⅲ「宗麟の死と嫡子吉統の背教」(中公文庫,2000年8月)
 9 大村純忠・有馬晴信篇Ⅰ「島原・五島・天草・長崎布教の苦難」(中公文庫,2000年9月)
10 大村純忠・有馬晴信篇Ⅱ「大村・竜造寺の戦いと有馬晴信の改宗」(中公文庫,2000年10月)
11 大村純忠・有馬晴信篇Ⅲ「黒田官兵衛の改宗と少年使節の帰国」(中公文庫,2000年11月)
12 大村純忠・有馬晴信篇Ⅳ「キリシタン弾圧と信仰の決意」(中公文庫,2000年12月)
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by aibiki2009 | 2011-10-30 11:54 | 歴史っぽいお話 | Comments(5)  

「天正遣欧少年使節」パート3

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彼らが航海してリスボンへ到着したルート
長崎から2年6ヶ月の航海の後、リスボンへ到着してる。

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リスボンに着いて、ローマ法皇へ接見のために辿ったルート

当時13歳前後の少年使節の旅は、先進文化に触れる喜びと同時に、
ポルトガルの商船はインド航路を4隻中2隻が無事に帰りつければ幸いだと言われるほどに
危険を伴った旅でした。

長崎を出発したのは1582年2月、この年の6月には織田信長が
本能寺で暗殺されてるんです。
使節は2年6か月後にポルトガルの首都リスボンに到着。
ポルトガル、スペインで国王などの歓迎を受けた後、最後の訪問地ローマでは、
ローマ教皇・グレゴリオ13世自らの祝福やローマ市民権の証明書の授与など
大歓迎を受けました。

しかし、出発から8年後、ヨーロッパの文化を学び、たくさんのお土産やグーテンベルグ式の
活版印刷機などを持って帰国の途に着いた使節団を待っていたのは、
一変した日本の状況でした。
保護者である大村純忠、大友宗麟の死、そして豊臣秀吉によるキリスト教の禁教令でした。

一行はポルトガル国副王の使節という資格で日本入国を許可され、
1590年7月長崎に帰ってきました。
翌年、聚楽第(じゅらくだい)にて豊臣秀吉に会い、その前で西洋音楽を演奏し、
秀吉が3度アンコールしたと伝えられています。

しかし、その後の4少年は弾圧の中で過酷な運命をたどります。
4少年の生涯は、歴史の過渡期の中で、まさに光と影。
まさに激動の運命だったと言えるでしょう。

次回は、彼らのその後を追いかけましょう!

つづく
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by aibiki2009 | 2011-10-30 02:20 | 歴史っぽいお話 | Comments(2)  

「天正遣欧少年使節」パート2

天正遣欧少年使節とは

この使節は、戦国時代に、日本でのキリスト教布教の責任者であったヴァリニャーノ神父が
計画し、九州の3人のキリシタン大名である大村純忠、大友宗麟、有馬晴信の使節として派遣したものです。
使節に選ばれたのは、当時、有馬のセミナリオ(神学校)で学んでいた少年で、正使として
日向伊東氏出身の伊東マンショ、有馬領千々石出身で、有馬晴信の従弟で大村純忠の甥の
千々石ミゲル。
副使として、原マルチノ(現 波佐見町出身)中浦ジュリアン(現 西海市出身)の4人でした。


まず彼らの自己紹介をしないといけませんね。

①「伊東マンショ」
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日向国の覇者だった伊東氏は、島津氏との戦いに敗れ一族は隣国の大友宗麟を頼り落ち延びる。
当時8歳だったマンショ(本名は祐益)もその中にいました。
豊後の地でキリスト教と出会い有馬のセミナリオに入校。
巡察師として日本を訪れていたアレッサンドロ・ヴァリニャーノは財政難に陥っていた
日本の布教事業を立て直すため、また次代を担う邦人司祭育成のため少年を中心とした
使節団をローマへ派遣します。
その1人に選ばれたのが伊東マンショでした。

②千々石ミゲル
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ミゲル誕生の翌年、父である千々石直員この人もキリシタンで洗礼名をジョアンという。
この千々石直員は、有馬晴純の3人いる子供の中の1人だ。
(有馬義貞、大村純忠、そして千々石直員)。
しかし、佐賀の龍造寺氏の攻撃を受けて自刃、ほかの兄弟も戦死。
ミゲルは母一人子一人の不遇な家庭に育った。
彼が四歳になったとき、故あって乳母に抱きかかえられて大村に来たと記されている。
「来た」というよりも大村純忠を頼って「逃れてきた」というのが実態に近いように思われる。

③原マルチノ

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彼は肥前国波佐見の生まれであったと考えられ、大村領の名士、原中務の子。
両親共にキリスト教徒であった彼は司祭を志して、有馬のセミナリヨに入った。
そこで巡察師ヴァリニャーノに白羽の矢をたてられたのだ。
セミナリヨで学んでいて、遣欧使節4人の中の1人に選ばれている。

④中浦ジュリアン
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中浦ジュリアンの父は肥前中浦の領主中浦甚五郎であるという。
彼は司祭を志して有馬のセミナリヨに学ぶ。
当時のセミナリヨは信仰堅固である程度の家柄の子弟しか入学させなかった。
だから、それなりの身分の家の出身であったと考えられる。

以上4人の紹介でした。
なお、その選考基準は容姿端麗で、長旅の健康を備え、語学や勉学にすぐれていること。
また正使の2人はあくまでキリシタン大名の名代ということだったので、
正史となった2人は、大名との血縁にあたるものが選ばれている。
が、副使に関してはそこまで厳密に血縁は問われなかったようである。

天正遣欧少年使節が長崎を出航した天正10年は、キリスト教は保護されていましたが
帰国後、徐々に厳しい取締りへと移って行きます。
安土桃山時代から江戸時代初期に生きていたが彼らのその生き様はあまりにも悲惨でした。

つづく

参考資料
天正少年使節の街 ・大村
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by aibiki2009 | 2011-10-30 01:55 | 歴史っぽいお話 | Comments(0)  

「天正遣欧少年使節」パート1

まず、この動画を見てもらいます。



今、歴女と言われる歴史好きな女性が増えている。
これって、明らかにそう言う人たちをターゲットに作られたグループだと思います。
って言うか、このメンバー自体、全く知らなかったんじゃないのかな?
「天正遣欧少年使節」を!
インタビューでは、名前を知ってる程度って言ってますがね!

昨日、今日と雨でスケジュールが狂った。
さて何をするかな?
こう言う時は、歴史を楽しむのが一番かな!

それも、長崎に関した歴史をね。
幕末物や坂本龍馬に関しての長崎は、もう語り尽くされた感があって新鮮さが無い。
そうこうしながら、題材を探していたら、「天正遣欧少年使節」にたどり着いた。

「天正遣欧少年使節」って長崎と関係あったよな~?
きっと、間違いない!
でも、この天正時代って江戸時代より前だよね。
長崎の街自体その頃から発展したから、詳しく調べないといい加減なこと
書けない。

天正遣欧少年使節4少年にゆかりのあるところを調べました。
長崎県大村市(大村純忠)、西海市(中浦ジュリアン)、雲仙市(千々石ミゲル)、
波佐見町(原マルチノ)、西都市(伊東マンショ)の4市1町だったです。
出発した地は、長崎だからイイよね!


最初に書いたように、まずは、現代に蘇った「天正遣欧少年使節」がいた事に驚いてます。

2弾、3弾を、今日中に続けて書きますからお楽しみに!

つづく
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by aibiki2009 | 2011-10-29 23:33 | 歴史っぽいお話 | Comments(0)  

長崎へ今度は豪華客船・飛鳥Ⅱ入港

先日、ダイヤモンド・プリンセス号が入港した時スナップを
撮りに行きましたが今日も、豪華客船・飛鳥Ⅱが入港すると言うので
小雨が降ってましたが、撮りに行ってきました。

今日の長崎は小雨模様でした。
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出島ワーフに着いた頃雨が強くなりました。
観光丸も寂しそう!
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お~~~奥の方に飛鳥が見えてきましたよ!
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見えました!
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近くで見るとやっぱデカイ!
でも後ろしか見えない!
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少し前から撮影!
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ちょっと上に移動して撮影したが、やっぱり全体が見えない。

全体が見えないな~!
よ~~し対岸の方に行って、ズームアップして撮れば、それなりに写るだろう!
そういう訳で、対岸に車を移動するべく飛ばしました。


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丁度バッチリ見えるポイントがありました。
でも、遠すぎて見えないよな~!
それでは、ズームアップしてみました。
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これでどうですか?
もうちょい近づけたいですよね!
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さらにズームアップ!
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え~~~い!
最高にズームアップだ!
あれ~~半分しか入らない、そして全日空ホテルが写ってる!(笑)
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今度は前方だ!
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天気が良くないのであまり綺麗ではないな~!
でも、楽しく撮影して来ました!

長崎港は、随分と埋め立てられ狭くなったけど、水深はけっこうあるので、
大型船でも入港できるそうなんです。
そして、前回入港したダイヤモンド・プリンセス号も今日の飛鳥Ⅱも
三菱重工長崎造船所で建造したのです。

だから、長崎へ寄航するのは、里帰りなんです。
今日入港した飛鳥Ⅱは、平成元年進水との事。
と言うことは、もう20年以上も経ってるんだね!

ダイヤモンド・プリンセス号が入港した時、「お帰り」と呟(つぶや)きました。
だから今日の、飛鳥Ⅱにも「お帰り」と呟く私でした。
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by aibiki2009 | 2011-10-28 20:43 | その日の出来事 | Comments(8)  

長崎の坂と階段を歩いた!

長崎って住んでる人には、当たり前でも、他の街に住んでる人が見ると異常だ!
だって長崎駅の目の前に丘がある。
駅前に丘って?、駅付近には勿論商業施設はある。
でも、少し上に目をやると住宅やお寺や墓、その上にはホテルだよ!
普通、その街の駅前ってある程度の平地に街が開けてるよね。
初めて長崎に来た人は、まずその環境に驚くんじゃないのかな?

そして、ホントに階段と坂だらけ!
時々、そう言う所を歩いて、その厳しさを体験したくなる。
東京に長く住んでたので、この厳しい住宅環境を忘れてました。
他県の人は、異国情緒があると言ってエキゾチックな長崎を素敵と
言いますが、住んでる人にとっては、とんでもない厳しい住宅事情なんです。

だから、私は郊外の割りと平地が多い所に住んでるんです。
あの厳しい住宅地帯には、もう住めません。
車も行けない所に沢山の人が生活してます。
だから、斜面に住んでる長崎の老人には、きつい街です。

今日もお天気が良かったので、階段が多い地区を散策してきました。
長崎の人は、ここが何処だかすぐ分るでしょうね!
細い路地や、人1人が歩ける階段、これが生活道路なんです。
ちょっと驚きますよ!

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今日は、階段を歩くのでバスで移動です!
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この地区には、老人の為の「斜面移送機」が設置されてます。
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近づいて見ると、こう言う作りです。
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若い人は、勿論歩きます。
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人が1人ぐらいしか歩けないこの路地を、私も登ってみました。
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家の横に階段が続きますよ。
狭い!でもかまわず階段を登りましょうかね!
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こんな細い路地階段でした。
でも、両サイドには家がビッシリ建ってる!
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そこを抜けると、また新たな階段が!
しょうがない、また登ります!
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左に折れると、この階段になった。
かまわず登りましょう!
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わ~~お~~!
またまた階段が出てきました。
ここら辺になると息切れがしてきた。
心臓に良くないよ!
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上の写真の階段を登りきっても、今度も、新たな階段出現。
もう、随分と登ったよ~~~~ん!
まだまだ終わらない階段、どこまで続くんだよ~~~~ん!
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登るんじゃなかったと後悔しだして来たよ!!!
でも、いよいよ終わりが見えてきましたよ。
もうフラフラですよ!
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やった~~~!!!
見えたのはこの建物!
何と斬新なデザインでお洒落な建物でしょう!
これは、最近出来たホテルだったです。
(ここには、別のルートから車で来れるようになっている。)
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ホテルのベランダガーデン。
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プライベートルーム。
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ビューティフル!!
登った付近からの景色!

大変疲れましたが、階段登りのこれがご褒美ですね!
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by aibiki2009 | 2011-10-27 17:03 | 長崎散策 | Comments(9)  

長崎空港に降りる飛行機

今日も素晴らしくいい天気!
雲ひとつ無い日本晴れです。

午前中は、定例のグランドゴルフをやり軽く汗を流す。
気温も23度ぐらいで、動けば少し汗ばむ程度。
心地良い運動でした。

そして、母が、今日はデイケアーがお休みで家で留守番です。
まだ、どこか弱弱しいし、食事もあまり食べない。
家にずっといるのは、良くないな~と思い、お昼の食事に
連れ出しました。
あまり乗り気じゃ無いみたいだったけど、引っ張り出した。

外は抜けるような青空です。
玄関を出ただけでも、気分はスッキリするはず。
1時間も走れば郊外の自然豊富な所があるし。

まずお昼の食事をしました。
私が「何を食べたいの?」と聞くと母が、「何でも良いよ」。
これがいつもの会話です。
でもね、今日は意志表示がありました。
「麺類が食べたい」と言います。

「よし分った」「街道筋にある、車が停めれる蕎麦屋に行こう」
こうして、蕎麦屋に入りましたが、あまり乗り気じゃなかった
母ですが、美味しそうにきつね蕎麦を食べてました。
やっぱり、外食すると気分が違うのでしょうね。

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母が食べたきつねそば。
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私が食べた「カツ丼セット」です。
美味かったで~~す。


そして、食後に今日も、車で登れる山をめざしました。
場所はね、琴の尾岳と言う山。
稲佐山と同じで、頂上付近まで、車で行けます。
451mあり、稲佐山より高いので、雲仙や諫早も見えます。

最高なのは、ここから見える風景で、長崎空港(大村空港)に旅客機が
発着するのが見えるんです。

大村湾にある島を利用して作った空港だから、何度も乗ってますが飛行機から見る
降りるシーンは、海面に降り立つ感じなんです。
その様子を撮って来ましたよ!
それがこれです。

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山の山頂から写したので、かなり大きい旅客機だけど小さく見える。
よ~~しそれじゃ、もう少しアップしましょう!
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まだハッキリしませんね!
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これでどうだ!
あ~~小さすぎた~~~~!
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これでどうだ!
あ~~ボケた!!!
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何が何だかわからないよね?これは、着陸のシーンなんです。
よ~~し再度アップだ!
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船じゃないですよ!旅客機ですよ、でも、これが限界です!
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良し、これでどうだ!
別の便で飛び立つ旅客機を捉えたよ!
ね~~間違いなく旅客機でしょう!
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捉えたスナップです。
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のどかな風景-1!
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のどかな風景-2
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のどかな風景-3
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のどかな風景-4

母もマッタリできたはず!
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by aibiki2009 | 2011-10-26 22:49 | Comments(4)  

浮世絵「東海道五十三次」の嘘

ちょっとオーバーな題名を付けましたが!
日本画を見に美術館へ行ったので、ちょっと浮世絵の話題を!
まず歌川広重の「東海道五十三次」の「蒲原」を見て下さい。

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かの有名な誰でも知ってるゴッホに多大な影響を与えたと言われている広重。
彼の代表作「東海道五十三次」の中でも傑作中の傑作とされるのが、
この夜の雪の蒲原宿。
墨の濃淡で作り出された雪明りの世界。

しかし、蒲原は今の静岡県、駿河湾に面した海辺の町で、このように雪が
積もることはまず無いそうです。
それに加えて広重が通ったのが夏だという。
だから、深い雪が積もった、いかにも真冬らしい美しい風景ですが、
これは実際とは違う光景と言われいます。

実は、このシリーズの絵には、実際と異なるものがかなりあるようです。
ではなぜ、そのような「嘘」の風景を描いたのでしょうか?
もともと、浮世絵は版画、つまり同じものをたくさん印刷して、
多くの人に売る商品です。
従って、たくさん売れなければ意味がありません。

おそらく出版する版元と広重が相談して、箱根の山の険しさを強調したり、
蒲原のように、雨や雪の景色も入れたりして、売れるように演出したのでしょう。
結果的に、このシリーズは大ヒットして、その後も広重は、東海道の風景版画を手がけてる。
実際の風景とは違っていても、人々の心を捉えたわけです。

しかし、広重が書いたこの東海道五十三次。
色々諸説がありまして、彼は東海道を実際に旅してないと言う説もある。
ま~この件は、次回にするとしましょう!


錦絵は江戸の名産で、他では見られない。
中でも極彩色のものは諸国で鑑賞される。
つまり浮世絵は、当時は江戸の土産物として重宝されていたようです。
こうして浮世絵といっしょに、江戸文化が地方へも影響を与えることになっていったのです。
浮世絵は、今のテレビや雑誌みたいなものだったと言えるのではないでしょうか。
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by aibiki2009 | 2011-10-25 17:17 | Comments(7)  

近代日本画夢の共演展へ

東京富士美術館所蔵、近代日本画夢の共演展が長崎県美術館で行われております。
夢の共演とは、「横山大観」「川合玉堂」「川端龍子」。
画家である姉は興味深々で見たい見たいと思っている。
前回、見に行った時、休館だったから、日曜日に姉と行って来ました。

前日、日帰りの遠征ライブから帰って来て疲れてましたが、
普段お世話になってる姉が、「午前中はキツイでしょうからユックリして
午後から行かない?」って言う。
私も見たい気は満々です。
だから、お疲れモードでしたが一緒に行ってきました。
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長崎県美術館です。
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幕末以降に西洋から流入した「西洋画」に対して、
日本独自の伝統絵画を区別する意味で「日本画」が誕生している。
東京富士美術館が所蔵する明治以降の優れた日本画コレクションを中心に
日本画近代化の礎を作った橋本雅邦、京都画壇を牽引した竹内栖鳳、
先駆的な女流画家・上村松園、岡倉天心の志を継ぎ日本画壇の巨星として君臨した
横山大観など、50人の巨匠たちの名品約100点を紹介します。(ポスター説明より)
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館内の撮影は禁止です。
だから、館内の様子はお届けできません。
絵を見ると言う行動は、人それぞれ!
ボーっと眺めるだけなら、何も疲れない。
でも、説明書を見ながら、その趣旨を理解して数ある絵を集中して
一点一点見るって、けっこう疲れます。

本日は、これ以外に、姉の友達が出展してる長崎の皆さんによる作品展も
やっていて、これも同時にみましたから、疲れは倍増。

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入り口の看板。
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展覧会のチラシとチケット
入場料は1100円。
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2Fに喫茶ルームがあるが、途中お茶しました。
上の写真は、席から見える風景!ちょっと素敵です!
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館内に垂れてる作品展の幕
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何でも鑑定団で有名な横山大観とは、こう言う人ですよ!

不謹慎だけど、絵を見ながら、それぞれ、この作品って幾らぐらいの値段だろう?って想像する私でした!(汗)
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by aibiki2009 | 2011-10-24 19:05 | その日の出来事 | Comments(8)