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68歳現役ボーカリスト

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お色気たっぷりのキッズフラ!!

私は、ハワイアンバンドをやってるから、フラを踊ってる人達と
いっぱい共演して参りました。
思い起こせば、大学生の頃のハワイアンバンドの時代から共演してきた。
当時は、日本人女性の特別な人だけがフラをやっていたように思う。


私がフラを生で初めて見たのは、やっぱり学生バンドのころ。
その後、大学での同期が福島県いわき市出身で、出来たばかりの
「常磐ハワイアンセンター」へ連れて行ってもらって、いっぱいの
フラダンサーによるショーを見せてもらった。
日本におけるフラダンスが大々的に紹介されたのは、きっとここが
最初なんじゃないだろうか!
日本にいて、ハワイへ行った気分を味あわさせてもらったです。

最近のフラのブームは物凄いですよ。
日本全国どこに行っても、フラ教室はある。
最近、私も大村市のシーハット大村のステージにおいて、キッズフラと
共演させてもらったばかり。
子供のフラは、やっぱり可愛いし、見てる人もほんのりさせて素晴らしい。

ハワイアン音楽を探す時、YouTubeは貴重な媒体です。
その時、フラの映像もいっぱいある。
そこで、こう言うのを見つけました。
この子はきっと、フラの天才じゃないのかと思う!
将来末恐ろしいくらいのお色気タップリの踊りです。

ちなみに、フラにはカヒコと呼ばれる古典的なスタイル(古典フラ)。
アウアナと呼ばれる現代的なスタイル(現代フラ)がある。
そして、皆さんは一般的にフラダンスと言いますよね。
だけどね、「フラ」の意味がダンスなんです。

だから、本来フラダンスと言うのは間違いなんです。
専門家の間では「フラ」と呼ぶが、世界的にも、一般には英語の
一般名詞ダンス(dance)を補い、フラダンスと紹介される事が多いけどね。

それでは、このお色気タップリの「キッズフラ」をご覧下さいね。
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by aibiki2009 | 2011-11-30 20:50 | 独り言 | Comments(4)

対馬を再度復習してます。

先日、会議で対馬へ行ってきましたが、時間が無かったので
対馬の事をあまり勉強できませんでした。
だから、帰って来てからもう一度ゆっくり対馬のことを知りたい。
そう思っておりました。

その後、調べる資料を探しておりました。
勿論、ネットでも調べました。
そして、このような本を見つけました。
それは、「対馬藩・江戸家老」「近世日朝外交をささえた人びと」と言う本です。
その本をいま読んでますが、おおざっぱに、対馬と言うところは、過去どうだったのか?
おさらいをしてみました。

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今、読んでる本です。
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朝鮮通信史が辿ったルートが載ってました。
この写真をクリックすると、拡大出来ます。
そうすると、詳しい寄港地や陸上でのルートが分りますよ!

対馬藩主は代々宗家が引き継いで来てます。
朝鮮半島との国境の島、対馬を代々領した宗氏は、惟宗姓であったが、
惟の字を省して一字姓の宗としている。

これは、大陸の一字姓に合せたもので、大陸との交易にはこの方が
都合が良かったとある。
このように代々朝鮮を通じての交易に依存してきた宗氏は、一貫して対馬の国守として
君臨し、朝鮮に対しては日本を代表する立場に立ってきたようだ。

しかし、豊臣秀吉が戦国の世を統一して、目を朝鮮に向けると、
そのことが宗氏の立場を著しく苦しくしていったのです。
朝鮮との交易に慣れた立場から朝鮮との交渉にあたらされ、そして朝鮮と戦いが
はじまれば地理的な立場から朝鮮での先陣とさせられている。
要するに、うまい様に使われている、たまったものじゃない。
その後、秀吉が死去して日本軍が朝鮮から引き上げても、宗氏は戦後処理で苦労している。

その後、江戸時代になると山国であり、水田が少ない対馬は、1万2千石程度の実高で
あったにも関わらず、10万石の格式で遇せられている。
そして、朝鮮人参などで、うまみがあった朝鮮との貿易も、日本で栽培されだし
徐々に儲けが無くなり宗家は衰退していったのです。
そして、幕末期における対馬藩は、朝鮮貿易の不振と、朝鮮通信使の接待費の累積により
財政が窮迫していってる。
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朝鮮通信使の碑が厳原にはありました。


この時期、ロシアが測量名目で、軍艦できて半年も上陸している。
幕府は、結局何も対処できないで無力だったのです。
こう言う混乱のまま明治維新を迎えている。
この元藩主の子孫は、万松院の受付の人に聞いたけど、今、千葉県に住んでるようですよ。

対馬は、地理的に絶えず、諸外国に狙われていたのが分ります。
まだ、本は途中までしか読んでませんが、詳しい事が勉強出来そうですよ。

何にでも、興味を示す最近のaibikiです。(汗)
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by aibiki2009 | 2011-11-29 19:35 | 歴史っぽいお話 | Comments(0)

いや~~今日も大変だったな~!

今日はね、朝の8時半から地域での、グランドゴルフの大会でした。
本当は23日だったけど、雨で延びたのです。
眠い目を擦りながら7時ごろ起床。

しかし、今日は我が家の月命日。
この日には、お坊さんがお経を挙げに来ます。
留守にできません、勿論、お布施は包みます。

来る時間は、いつも決まっていて、お昼頃だ。
この日の月命日には、母もデイケアーを休んで、一緒に拝むのです。
だから、私が、「大会を終えたらすぐ帰るからね」と伝言して出かけた。

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これが、私のグランドゴルフのクラブです。
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今日のお出かけファッション。
ピューマのジャケットで、行って参ります!
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会場の近くにて!


大会では、ま~ま~の成績で、総勢80人ぐらいでの大会でしたが
4位に入りました。
10位までが表彰です。
自分で言うのもなんですが、始めて2年ぐらいなんですが、コンスタントに
進歩していると思います。
テニスが出来ない分、こちらで頑張ってます。

大会の内容は、普通8ホールを4ランド廻ります。
すなわち、32ラウンドの点数が少ない人ほど上位となります。
そこら辺のルールは、ゴルフとほとんど同じです。

でも、今日は、普通の4ホールより1ランド少ない3ラウンドで競技だったです。
だから、まだお経に間に合うと、表彰式が終わったら、ダッシュで自宅へ帰りました。
仲間と今日のゲームのことを談話する事も出来ずに!


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今日のお坊さん!
母も後ろで一緒にお経をあげました。
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この人は、1m80以上ある大男だ。


私が帰宅すると同じぐらいに、間もなく坊さんが見えた。
お経の時間には、バッチリ間に合いました。
何人かいるお坊さんの中で、今日のお坊さんは福岡出身の人だ。
で私がこちらに墓を作った時、このお坊さんに、お墓に魂入れをしてもらった人。
しかし、12月で、いまのお寺を辞めて、福岡に帰るようで、このお坊さんと
長年のお付き合いがある母は、「寂しいな~」って別れを惜しんでました。

その後も今日は予定が待ってるんです。
自治会の会議が近くの公民館で、午後1時半からあるので、昼飯も
取らないで、またダッシュで公民館へ出かけました。
朝からスポーツもやってるのでお腹がグーグー言って、会議も身が入らなかったですよ。

帰りに、私と母とが食べる食料などのお買い物をして先ほど帰宅。
そういう訳で、今日は、早めの夕飯を母と一緒にとります。

もうお腹ペコペコです。
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by aibiki2009 | 2011-11-28 17:37 | その日の出来事 | Comments(4)

長崎古写真ー1明治初期の長崎の風景写真!!

私は、写真が根付きだした明治初期から昭和にかけての長崎を特集した
写真の本を持っております。
長崎文献社が発行してます。

本の表紙には、長崎浪漫・写真でしのぶ明治・大正・昭和と書かれている。
そして、長崎の街や風景を特集した古い写真を掲載している本です。
今の長崎と比較出来るので、意外と楽しいです。

一番興味深いのが、オランダ商館があった出島です。
当時は、完全に海にとび出た扇型の島だったが、今は埋め立てられて
陸の中であり、傍を路面電車が走っているくらい変わった。
すぐ前には、テレビ局もあるくらいです。
埋め立てられる前の風景は、どんな感じだったんだろう?

それと先日公開した旧香港上海銀行の付近の写真も興味がつきない。
今日は、その1部を紹介しましょう。

埋め立て前の出島(明治はじめごろ)
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250年もの間、オランダ国旗がひるがえった出島です。
愛する家族や故国をしのびながらオランダの船乗り達は、南風(はえのかぜ)が吹く
翌年の6月をここ出島の中で待っていたのです。

小舟と出島と稲佐山
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長崎国際テレビ(NIB)の社屋の方向から見た出島らしいです。
当然ですが、テレビ塔が無い稲佐山が後方に見えてる。
明治20年に東と西そして南側の海面が埋め立てられる以前の出島。
明治10年代とのことだ。

香港上海銀行と長崎ホテル
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豪華客船が接岸する松ヶ枝埠頭だが、この当時は当然無くて、すぐ海岸だったのが分る。
そして、海岸に並ぶ洋館が凄いです。
今の建物より豪華な気がするのは、私だけじゃないでしょう!

長崎ホテルの正面
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リンガーが作った長崎ホテルです。
この写真は、明治末期と書かれているから、リンガーが手放した頃かもしれない。
会社を倒産させたグラバーは東京へ去り、リンガーが長崎の経済界を引っ張ったのです。

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今、現在の香港上海銀行と長崎ホテル付近の前は、このように整備、埋め立てられ豪華客船が停泊できる埠頭になってます。
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ダイヤモンドプリンセス号が入港した時の様子で、判断して下さいね!


そして、リンガーは東洋で屈指の超一流ホテルを建てることが夢でした。
上海・シンガポール・香港・横浜・ヴァンクーバ・ヴィクトリアにあるような象徴的、
モニュメント的なホテルの建設。
これはリンガーの長崎へ対する想いの象徴でもありました。

明治31年(1897)、長崎ホテルを建設。
煉瓦造3階建て、海に面して3層のベランダをもつ大規模な本格的ホテルです。
設計者はジョサイア・コンドル(イギリス ロンドン出身)
上野博物館を建設した当時日本で最も有名な建築家です。

家具・設備・食器類は海外から輸入した最高級の設備で、各部屋に電話完備
自家発電、冷蔵設備も備えていたようです。
もちろん、当時では、日本初でした。
当時の英字新聞の広告などによると、一泊4円~。

これは日本の中でも、宿泊料は最高級だったようです。
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by aibiki2009 | 2011-11-27 20:23 | 長崎の古写真 | Comments(4)

長崎の元祖・長崎甚左衛門の墓へ行ってきた。

私が子供の頃、親に連れられて諏訪神社へ行く事があった。
そこに鬼が島を退治した桃太郎のような像があり、何も知らない子供の私は
この人は誰だろうと、ただ思うだけでした。
この像の人物こそ、長崎の開港の祖、長崎甚左衛門だったのです。

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学者の中には長崎を売り渡したやつ、なんて言う人も居る!
日本で最初のキリシタン大名・大村純忠と同じキリシタン。
長崎を最後に統治していた人だが、その後、波乱に富んだ人生を送る事になる。
1548?~1621年(天文17?~元和7)長崎に生まれ、長崎最後の殿様でもある。
通称甚左衛門、教名ベルナルドと言い、長崎左馬太夫純方の子。

長崎のルーツ的人なのに、おおざっぱにしか長崎甚左衛門のことは知らない。
だから、少し調べる事にしたのです。
それと共に、今日は、天気も良かったので、現存する長崎甚左衛門の
お墓へも行って来ました。

長崎小太郎重綱を初代とし長崎氏14代目にあたる。
長崎小太郎重綱は鎌倉初期ごろの肥前国長崎出身の御家人。
鎌倉時代は長崎浦の地頭職で知行していた。
長崎の町は1571年の開港以前は小さい漁村でしかなかった。

その頃の長崎氏の範囲は、後年の長崎氏の居城があった鶴城(桜馬場城)
付近から現在の県庁付近までといわれれ、領民はそこを中心に
1500人ほどであったとされる。

長崎甚左衛門の妻は、大村純忠の娘とらである。
大村氏に属し石高は970石で、鶴城(桜馬場城)を拠城とし、
城下に館(現桜馬場中学校)を構え、城と館を中心に素朴な城下町があった。


義理の父親である大村純忠とともに、南蛮貿易の拠点と切支丹の安住の地とすべく、
イエスズ会の宣教師や神父とともに1571年長崎港を開いた。
1569年、古寺を改造し「小さいが美しい教会」長崎初のこの教会は、
トードス・オス・サントス(諸聖人)と名づけられ、長崎の港に入る船から
その教会がみえたらしい、現在の春徳寺の付近と言われている。

1587年の豊臣秀吉の宣教師追放令にともなって、翌年長崎は天領として
取り上げられ、1605年に自らの領地も大村領に換地され、14代目の
長崎の最後の殿様は、開港に賑う長崎を去るのである。

大村純忠の子喜前は、所領を失った長崎甚左衛門に時津村を与えようとしたが受けず、
筑後に出奔して田中吉政に仕えるが、田中家が断絶したために
結局、また大村に帰り横瀬浦で100石の扶持を与えられ、その後時津に移り住み、
甥で養子の長崎内匠のもとで余生を送ったのです。
何とも可哀想な人ではないか!

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長崎甚左衛門の墓の看板です。
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ここを真っ直ぐ行く。
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まだ自然が残る場所にありました。
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墓石に刻まれた文字をアップ。
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この墓は、元禄15年(1702年)子孫の大村内匠助長瀬が建てたようです。
300年以上経った墓が、
今も大切に守られてました。

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by aibiki2009 | 2011-11-26 20:36 | 長崎散策 | Comments(9)

博多駅のイルミネーション!

先日、対馬へ行って長崎へ帰る時、JR博多駅で乗る予定だった特急かもめの
乗車時間がずれて30分ぐらい時間が出来た。
お土産は対馬で買っていたから、もういらない。
そうだ!ハワイアンバンドのお友達で、福岡市で活躍しているKさんがいるので
黙って帰るのは、忍びないと思い、うるさい駅港内を出て、表で電話を
するべく、博多口に出た。

丁度1年前の今頃、Kさんと萩に一緒に行った時も、この博多口で待ち合わせた。
携帯から電話して、「今、博多にいるよ」って、突然言ったらビックリしてた。
「何で博多なの?」って、しばらく会話していたら、異常に人が集まって来たのだ。

何だろう、この人の集まりは?
ザワついてきたので、煩くなり会話を止めて電話を切ろうとした時、
周囲で、カウントダウンが始まったではないか!

それはね、丁度、この日の、この時間に、博多駅前の博多口のイルミネーション
点灯式が行われたのです。
偶然にも、そこに丁度、立ち会う事が出来たと言うわけ。
対馬から帰るのに、大変な思いをしたけど、しっかり、ご褒美が待ってました。

時系列で、ずっとスナップを撮ってましたから、駅前でのビフォー・
アフターが撮れました。
ようするに、点灯前と点灯後、いや~~ラッキーでした。
もうすぐ、クリスマス。
我が家の玄関も、クリスマスムードいっぱいだけど、博多でも味あわせて
もらいました。

そのビフォー・アフターを見ていただきましょう!

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イルミネーションが点灯する前です。
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    ↓     ↓

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どうですか?
完全にビフォーアフターでしょう?
バッチリとれましたから!
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綺麗・・・・・!!!
いっぺんに明るくなっちゃって!!

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by aibiki2009 | 2011-11-24 16:04 | その日の出来事 | Comments(4)

国境の島・対馬へ-2

こうして、到着後会議は始まりました。
観光で来たのじゃないのが分っていただけるでしょう!
長崎県下一円から、ここ対馬に集まって来てるんです。
自治会及び公民館それに地域住民とのこれからの繋がりについて
問題提起と、将来どうあるべきか討論しました。

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皆さん真剣に意見を出し合いました。
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代表地域から、現状と将来についてパネルでの発表。
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各地域とも、少子高齢化に悩み、自治会の将来は不安がいっぱいのようです。
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会議終了後、ホテルへ。
ツインベットのお部屋に1人でゆっくりと泊まらせて戴きました。
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夕食前の様子。
ア~~外は大雨か!参ったな~~~~って思っているところ。
このあと、雨の中、皆さんで外に出て夕食と飲み会でした。
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テレビを見ると、ここは対馬だと実感する。
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広い会場。
翌日は、全体会議からスタート。ステージの緞帳に注目です。
朝鮮通信使の行列がデザインされていて、ここはやっぱり朝鮮との繋がりを感ずる。
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会場はまだ作られて日が浅いのでしょうか?
会場は、とても綺麗で、素晴らしい緞帳だったです。
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全体会議がスタートです。
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新しいカメラのズームアップでこのようにハッキリとアップできます。
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更に横に座っている人の表情もハッキリとズームアップ!
このカメラ買って本当に良かったですよ!カメラの宣伝でした。(笑)

会議終了後、帰りの飛行機便が出発するまで、2時間の自由時間がありました。
遠くへ行く時間も無いし、外は風雨だ。
会場から近いのは、対馬藩主のお墓がある万松院だ。
皆さんは、行かないと言うので私1人で傘を買って出かけました。

万松院には、歩いて10分ぐらいで着いた。
そこで説明の看板があり、こう書かれていた。
元和元年(1615年)第20代対馬藩主宗義成が厳父 ・ 義智の菩提を弔うために創建し、
厳父の法号に因んで「万松院」とした。

墓地は、桃山建築様式を残す山門のわきから、百雁木(ひゃくがんぎ)とよばれる123段の
自然石の大石段を登りつめると歴代の藩主と一族の墓が並んでいました。
そこには、4~5mにも及ぶ巨大な墓石もあり壮観でしたね。
 
金沢市の前田藩墓地、萩市の毛利藩墓地とともに日本三大墓地の一つとも言われている。
また、本堂には徳川歴代将軍の金箔の大位牌や朝鮮通信使の資料等、藩政300年の
貴重な資料が数多く保存されているのです。
でも、雨と風が吹く中、びしょ濡れでの探索はかなりクタクタに疲れました。
特に、123段の階段は、心臓に良くなかったですよ。
途中、バクバクでした。

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万松院の入り口。
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この階段がきつかった。
ここを登りきらないと、菩提は見れません。
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途中、登ってきた階段を振り返る。
きついのが分っていただけると思いますよ。
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心臓バクバクの私!
この頃から、風が強くなり傘が飛ばされそうに何度もなりました。
風の強さは写真では伝わりませんね。

途中、雨の中で一休みです。
傘は、カメラが濡れるので、飛ばないように、固定して置いて撮りました。(笑)
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途中から歴代藩主と奥方のお墓が見えてきました。
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もっと上にお墓が見える。
きついけど、さらに登りました。
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階段の途中に大杉が見えてきました。
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杉の大きさが分るように傘を置いて、一緒に撮りました。
どうですか、この大きさ!
樹齢は、1200年ぐらいと言われてます。
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その横をさらに登ります。
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一番大きいお墓が見えてきました。
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この場所を作った義成のお墓だった。
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歴代の墓だから、このようにまだまだいっぱいだったですよ。
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次は帰りに民俗資料館へ寄りました。
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撮影禁止だったけど、誰もいないし、フラッシュなしで写るカメラだから失礼して撮っちゃいました。(汗)
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中世から近世にかけて、日本と朝鮮両国の外交と貿易を一手に担ってきた対馬の宗氏。
仲介役として、ときには外交文書の改ざんや偽造も行ったとされる。
中・近世の日本外交の実態を解き明かす貴重な史料だ。
日本と朝鮮の間に挟まり、苦悩外交だった事が分る資料が、近年発見された。
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対馬藩は、自らの交易の安定や日朝両国の円滑な外交を維持するため、しばしば幕府の名をかたる使節を送り、国書偽造にも手を染めたとされる時の印。

貴重なものが見れました。

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こちらに向かってくる若者の集団がいた。
どこから来たの?っ聞いても、キョトンとしてる。
日本語が分らない、韓国から来た観光の若者でした。
国境の島であることを、あらためて実感。
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看板は、必ずハングル文字が書かれているし、街には、ハングル文字が溢れていたしね。
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(金石城跡)
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歴史を感じる石垣。
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ポスターー1
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ポスターー2
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晴れた日に見える対岸の韓国の写真。

サヨナラ対馬、
  今度いつ来れるかな!


 
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by aibiki2009 | 2011-11-23 13:47 | Comments(2)

国境の島・対馬へ-1

私・aibikiが対馬に行ったのに、その時のブログが書かれないな~と
思っておられた皆さん、永らくお待たせ致しました。
やっと書ける時が来たようです。

11月17日の朝6:00ごろのJRで長崎を旅たちました。
当然、周りはまだ真っ暗、長崎は西の果てだから、朝が来るのが遅い。
関東に比べて、1時間ぐらい遅いと思う。
中学・高校生の頃、早朝のまだ暗い中、通学した事を思い出してました。

その代わり、夏の昼間が長い。
午後8時ごろまで、何となく明るいのが残ってますから!
午後6時ごろなんて、まだ真昼みたいに明るいんですよ。
ちょっと話が脱線気味ですね。
旅の様子に戻しましょうね。(笑)

同じ長崎県なのに、対馬へ行くには長崎県→佐賀県→福岡県と3つの県を
跨がないといけない。
長崎空港から直接飛ぶ便はあるらしいが、定員が少ししかないと聞く。
福岡便は、長崎便の3倍くらいの定員。
そして、連絡フェリーも長崎からじゃなく、福岡からしか無い。
いつも思うんですが、なぜ壱岐、対馬が福岡県じゃなく長崎県なんだろう?
生活圏は、ほとんどが福岡県と繋がっているのに!
このように思うのは、私だけじゃないと思いますよ。
従って、まず福岡県の博多駅を目指し、福岡空港から対馬へと飛んだのです。

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自宅前にある、出発の駅にて。
まだ真っ暗と言うことがお分かりでしょう。
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理事と役所職員との総勢10名での県大会へ。(諫早駅で合流した頃)
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諫早駅を過ぎ、有明海沿岸を通過する頃、朝日が出ました。
列車から動きながらの撮影だから、いっぱい失敗しました。
これが一番綺麗でした。
このように、この頃はまだ天気は良かったのです。
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博多に着いて、そく地下鉄で福岡空港へ移動です。
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長崎にいると地下鉄に乗る事がないので、東京時代をちょっと思い出し、
「地下鉄久しぶりだな~~」って、ちょっとシンミリ気分に!
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空港到着。
出発まで30分ぐらい時間があるので、展望デッキへ行き、福岡空港の様子を撮影。
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いるいる色々な会社の飛行機が!
久しぶりの空港なので、各社の飛行機を撮りました。
良かったら、お楽しみ下さいませ!
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国際空港も一緒なので、いろいろな飛行機が見れましたね。

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いよいよ時間になり、空港を飛び立ちました。
撮影許可はまだ出ないけど、窓側だったので、写してしまいましたよ。
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機内は、このように満員です。
ほとんどが、会議に出席する人だったです。
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飛び立って、30分でもう到着です。
対馬の浅茅湾の神秘的なリアス式海岸が見えてきました。
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対馬空港は、山を削って作ったわりと高いところでした。
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ホテルに写真がありましたが、これが空港です。
分りづらいと思いますが、写真の真ん中に一本の道路みたいになってるのが、滑走路です。
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お迎えのバス。
横には対馬ヤマネコが描かれていて、対馬を実感しました。
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さっそく、会議がある会場へ到着です。

降りてしまうと、島である事を忘れる。
スーパー、ホームセンター、家電量販店、さらにはファーストフード店、パチンコ店など
本土にあるものは、ほとんどありましたから。

この頃から、雨が降り始めました。
傘は、持って来てない、参ったな~と思いながら、会議が始まりました。

まずは、ここまで!
次も写真をいっぱい掲載します。
お楽しみにね!

つづく

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by aibiki2009 | 2011-11-22 17:17 | Comments(2)

姉の絵が、また入選しました!!!

昨日までのハードスケジュールでクタクタだったので、20日の日曜日は
半月ぶりに何も予定を入れない1日にしようと思い、午前中はゆっくり寝てました。
でも、9時頃、電話で起こされた。

姉からだった!
昨日までのスケジュールは、母に何かあったらいけないので、姉に知らせていた。
ようするに、対馬に行った事、大村でバンドの仕事があった事は知ってる。
「昨日までは、お疲れさま」「疲れは残ってるよね?」
「午前中は、ゆっくりして疲れを取ってね」。

こう言う時は、何か一緒に行きたいのだ。
案の定、次に「あのね、私の作品が入選したのよ」「お母さんに見せたいのよ」
「一緒に県立美術館へ行こう」って言うのです。
母の名前を出されたら弱い私です。
結局、今日も疲れた体に鞭打って、お昼頃から県立美術館へ出かけました。

以前、東京での展覧会・東光展に出品して入選、その後、創作活動をお休みしていたのですが
芸術の秋と言う事で、第60回の節目である長崎市民美術展にターゲットを絞り
作品を仕上げていたようです。
今回も、賞は取れなかったけど、入選したようで、母に見せたいと言う。

母も嬉しいようで、「姉の絵を見に行く?」って聞いたら是非行きたいって。
私は、音楽が専門で、姉は油絵が専門。
自分の子供である私や姉が、60歳過ぎても、こうして現役で活躍してるのは
本当に嬉しいようで、「私は幸せだね」ってニコニコしてます。

検査入院して、体調を壊していた母ですが、一緒に行けるまでに回復してきました。
ま~老人だから、絶えず気を使いますがね。
母と私と姉の3人で、展覧会場の県立美術館へ行きました。

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長崎新聞に載ったようです。
ちょうど姉の絵が真ん中に載りました。
弟の私も、ちょっと鼻が高いです。
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いつもは、ゆっくり入れられるのに、満杯の駐車場だったです。
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入り口では、賞を取った人の表彰式がやってました。
姉は、賞状だけでした。
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会場入り口です。
奥に作品はいっぱい飾ってました。
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これが姉の入選した絵です。
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姉の絵の下で、母と一緒に記念撮影しました。
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今度は、姉と母も一緒に撮りましたよ。
姉も嬉しいようです。
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会場の様子です。
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美術館の傍が会場でした。
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出店がいっぱい。
五島牛、海産物、野菜、果物、米ついでに現場でつく餅までありました。
私らは、つきたての餅、カンコロ餅、ミリン干し、煮干、五島うどん、五島牛の肉、ま~いっぱい買ったですよ。
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今、大ヒット中のハトシロール。
本物は、パンで海老の練り物を巻いて揚げる高級料理の卓袱のメニューだが、
高くなるので、値ごろなアジを原料に作りあげて、ファーストフード感覚で食べれる。
歩きながら3人で食べたけど、最高に美味かったです。

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広い会場だったです。
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会場では、オヤジバンドも演奏してましたよ。
曲は、ベンチャーズ中心だったな~。
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お買い物して満足の2人です。

ちょっと歩かないと行けなかったけど、賑やかな事が大好きな母、行くって言うので
連れて行きました。
ゆっくりと歩いて連れて行き、今日は2つの行事をこなすことに。

一緒に楽しい時間を過ごせましたよ。
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by aibiki2009 | 2011-11-21 13:16 | その日の出来事 | Comments(4)

金婚式ゲスト出演無事終わりました!

昨日の土曜日、大村市のシーハット大村・桜ホールで
西日本新聞社主催の長崎県金婚夫婦表彰式が行われました。
記念写真の撮影や記念品の贈呈などのセレモニーが行われ終了後、
アトラクションとして、ショーを見てもらったのです。

そのショーには、我々のコラボバンドと、大村市で活動しているフラのグループと
もう一つ、キッズフラチームも一緒に出演してもらいました。
それと、会場の皆さんの年齢を想定したのでしょう、演歌歌手も
ゲストに呼ばれていました。

朝、6時に目覚ましをセットして起きましたが、さすがに前日までの疲れが
残っているので、しばらくボーっとした状態で、気合で動き出したって感じでした。
朝の7時ちょっと過ぎに自宅を出ましたが、母が私の体を心配して
「大丈夫なのかい?」「ちょっときついスケジュールだよ、気をつけてね」って
玄関で見送ってくれました。
会場には、8:30ごろには到着です。

フラの皆さんとは、音あわせを全くしてませんから、楽器をセットしたら
すぐリハーサルをしました。
本番は、11時からだから、時間が無いのです。
でも、朝が早すぎて、子供さんのキッズフラは、数名しか来てない状態。
開場するギリギリの時間に何とかリハを終える事が出来ました。

本番には、フラをやってるネッ友のオハナさんが応援に来てくれて
スナップをいっぱい撮ってくれました。
これまでは、マネージャーが撮影してくれてましたが、亡くなり、
撮ってくれる人がいなくなり、ここにアップ出来ない状態が続いてました。

今回は、バッチリ掲載できます。
オハナさん、本当に有難うございました。
その様子をご覧下さいね。

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会場のシーハット大村です。
かなり大きい箱物で、バレーボールなどの試合が出来る大きいホールと、ショーが出来るステージが一緒になってるんです。
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会場外には、新聞社の旗が立てられてました。
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さっそく出演者入り口から会場入りです。
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楽屋に入ると、メンバーも準備してました。
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最初は演歌歌手が出演しました。
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ここからは、オハナさんが撮影してくれたスナップです。
我々の出演ですが、全体はこんな感じになります。
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少しアップ。
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大村の2人、MCはA倉さんがやりました。
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私のソロの曲の時だと思います。
よく撮れてます。
こう言うステージはライトアップがあるので、とても綺麗ですね。
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気合入って歌ってる時ですね。(汗)
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キッズフラと一緒のスナップです。
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金婚式の皆さんからすると、お孫ちゃんぐらいじゃ!
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やっぱり女の子は可愛いですね。私も娘2人だったから、良く分ります。
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最後は演歌歌手も登場で一緒に「浜辺の歌」を歌い、フィナーレでした。

バンド出演は、今年最後だと思います。
皆さん、お疲れさまでした!!!

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by aibiki2009 | 2011-11-20 10:59 | 音楽全般 | Comments(8)

還暦を過ぎても、現役ボーカリストで頑張ってます。スタンダードやハワイアンを中心に歌ってます。血液型 O型