2009年 08月 02日
新曲・「長崎の鐘」
長引いている梅雨のため、ギラギラした真夏の暑さはまだ訪れない。
でも、幾らなんでも8月だもの、もう明けるでしょう?
海水浴客で儲ける、海の家も大変なんじゃないの?
人生を60年もやってると、このような梅雨が長い年も何度か経験している。
夏休みを中心に、1年間の儲けを取ろうと考えている海の家。
こう言う年は、悲惨なんじゃないだろうか?
とかく、季節に左右される商売って、バクチ的でもある。
まして、夏は短いから、なお更危ないよ。
話は、ガラリとかわります。
私は、ここの所、ライブが忙しくて、中々曲の制作が出来ません。
でも、以前から、この8月の原爆記念日に向けて、制作していた曲があります。
これが完成したので、皆様にお聞きしていただく為に、私のHPで公開したいと思い、
今日、アップ作業をしまして、先ほど終了しました。
曲は、「長崎の鐘」です。
「長崎の鐘」とは長崎原爆の爆心地に近い浦上天主堂にあった<アンジェラスの鐘>
のことで、原爆で崩壊した瓦礫の中から出てきた唯一の天主堂の証であったのです。
この鐘は、今でも再建された天主堂で澄んだ音色を響かせ、原爆の理不尽さと世界平和を訴えています。
しかし、サトウハチローの書いた歌詞の「長崎の鐘」は、
長崎医科大学の放射線科の医師であった永井隆博士が書いた自伝本
「長崎の鐘」と永井博士の被爆の半生を歌にしたもの。
当時、原爆で全壊した浦上天主堂です。今は復元してますけど。
中学時代に通いなれた付近です。
この歌のモデルとなった永井博士
浦上天主堂前のコンクリート壁には、「長崎の鐘」の譜面が・・・・。
この曲を歌ったのが、藤山一郎。昭和26年のことだ。
私がまだ2歳のころです。子供の頃から、いっぱい聞いて育ちました。
永井博士が被爆後、生活していた当時のバラック小屋です。
今も、如己堂として、現存している。
歌詞に「こよなく晴れた青空を、悲しと思う切なさよ」とあるように、昭和20年8月9日は、
朝からこよなく晴れた上天気であったとのこと。
3日前の新型爆弾による広島の悲惨さもまだ伝わってはいなかったのです。
長崎医科大学放射線科医師永井隆博士は、朝から放射線研究に没頭していた
11時2分、窓の外が白昼の日光よりも明るく、ピカっと光った。
同時に被曝と灼熱地獄、続いて耳を聾する轟音と猛烈な爆風、衝撃波。
永井博士も深手を負って壊滅状態の瓦礫の中からやっと這い出したが、
長崎医科大学だけでも角尾学長を始め890人余の人命が一瞬にして失われています。
朝、送り出してくれた奥さんも瓦礫から黒い塊で発見。
奥さんである証拠は、傍にあったロザリオ。
悲惨すぎる話なのです。
私は歌っていて、このロザリオの付近になると、泣けて、歌が詰まりそうになるのです。(泣)
長崎、広島の皆さんには、忘れることの出来ない8月6,9日。
原爆の悲惨さを改めて、考えさせられる月でもある。
ちなみに、夏休み中ですが、長崎の学校は、この日は登校日です。
そして、子供達に平和について学習させます。
世界がこの原爆の悲惨さを目にすれば、核を持つのが如何に人類の破滅に
繋がるのかを実感するのに・・・・。
今、長崎では、オバマ・アメリカ大統領を呼んで、この原爆での悲惨な惨状を
見てもらい、世界が非核に向けてアメリカが先頭をきってうち進んでもらおうとしています。
その8月、6・9日の原爆記念日がもうすぐ来ます。
どうぞ、私のこの曲を聞いてもらい、少しでも原爆の悲惨さを考えて欲しいのです。
下のアドレスで聞くことができます。
私のHPです。
宜しかったら、お聞き下さいませ。
http://www4.cncm.ne.jp/~aisaka/index.htm
開きましたら、「09年8月の歌」をプチッとクリックして下さいませ。
聞けますから。
それでは。
さっそく、「長崎の鐘」聞かせてもらいましたよ。
さすがですね。
聞かせてもらって鳥肌がたちました。
そうですね?
ロザリオの所は、注意して聞かせてもらいましたが
ちょっと「ウルウル」しているように聞こえました。
「行って来ます」って、朝、別れた妻が黒い塊で発見だ何て・・・。
むご過ぎます・・・・。
今の議員は、戦争も辞さずって人も多くなってきてる。
でもやっぱり、殺し合いの戦争はダメですね。
小さい頃、藤山一郎の唄はもちろん、NHKの喉自慢でいつも聞いていました。
原爆・・・ひどいですね(怒)、戦争を終わらせるため・・・!とんでもない、原爆を落とす必要はさらさらなかった・・・これは人体実験ですよ!!
世界で唯一原爆の人体実験をされた日本、なぜ世界はアメリカを糾弾しないのか、まして日本は何でもっと怒らないのか・・・!!
不思議でならない・・・日本人はすぐあきらめる・・・仕方が無い・・・なんでーーー!!?悲しい性か・・・?
世界は、原爆の被害の実態を知らないから・・・?
喉もと過ぎれば暑さわすれる・・・!
これが人類の運命なんだろうか?
もう遅い・・・!残念ながら・・・
そう遠くない未来に絶対人類は滅びるという気がしてならない。
さっそくお聞き下さり、有難うございます。
そして、嬉しいコメントまで。
この歌を歌って、録音する時、本当に気持ちが入り過ぎて
ロザリオの所で、泣きそうになりましたよ。
これ、本当です。
だって、永井博士は、原爆落下直後、自分の怪我した体に鞭打って、患者を治療し続けて、やっと一息ついて、自宅が心配になり自宅へ着くと、黒い塊の奥さんが・・・・・・・。
もう泣けて泣けて・・・・・。
さっそく、「長崎の鐘」お聞きくださり、ありがとうございます。
ラジオから流れるこの曲は、当時、子供心なりに、いい歌だな~って聞いていました。
この曲は、分野から言えば、歌謡曲に入るでしょう。
でも、長崎市民にとっては、校歌と一緒なんです。
例えば、長崎のライオンズクラブでは、会合が開かれる時にはこの曲を最後に合唱します。
だから、ずっと市民の愛唱歌として、歌い続けられてます。
当たり前のように。
長崎に来る観光客は、ほとんど原爆資料館へ寄ります。
そして、見た後、このような惨劇だったとは知りませんでしたと、また、知らなかった事に対して反省してますとも言います。
関東や近畿からの修学旅行生に、学習させるべく、「語り人」がまだ生きてますので、当時の様子を聞かせています。
涙を流す子もいっぱいいます。
今後の平和のためには、こう言う学習は絶対必要だと思います。
長崎の子供は、小学生の低学年から、平和学習をさせているので問題意識が、非常に高いです。
小学生で、他の県から来た修学旅行生に原爆の事を説明するんです。
凄いでしょう。
荘厳な感じになっていましたね。
私も被爆2世・・・とは言っても母も直接被爆したわけではないし、親戚にもなくなった方はいないのです。
ただ実家は、市内から逃げてきた人たちの避難や救護場所になっていたらしいです。
祖母も多くを語ってくれませんでしたけど、もっと聞いておくべきでした。
さっそく、「長崎の鐘」お聞きくださり、ありがとうございます。
このオケ制作には、本当に苦労しました。
ライブで忙しい日々を送っているので、なかなか曲の制作に入れませんから。
オーケストラみたいな楽器も必要だし、肝心の鐘の音だって、本物に近い音を探すのは大変でしたし、いっぱい苦労しました。
そして、長崎と広島は、同じ被爆県。
兄妹みたいなものだね。
だから、ママンさんと私で考えると、やっぱり、私が兄で、ママンさんが妹でイイよね。(笑)
私の母も原爆手帳持ってます。
だから、私も被爆2世です。
健康診断が無料って案内が来ますよ。
また、平和について勉強をしてるからか知りませんが、
全体的に中高生も真面目です。
広島の小学生も平和学習ってやってるでしょう?
東京から長崎に帰って来てまず思ったのが、服装など高校生が真面目って事でした。
化粧してる高校生は、皆無に近いのです。
東京の高校生は、制服なのにがん黒化粧の女が異常に多かったから。
当時、素顔の高校生が当たり前なのに、逆に新鮮でしたよ。