2010年 10月 30日
乃木坂辺りでは・・・。
乗り物は、地下鉄銀座線・青山一丁目が近場の駅で、ここを
良く利用しました。
もう一つ、利用する駅がありました。
それは、反対側にあった営団地下鉄千代田線・乃木坂駅です。
こちらは、多少多く歩くので、頻繁には使ってなかった。
この乃木坂駅近辺は、静かな閑静な所だ。
何故かと言うと、駅の傍に乃木神社があるから。
そう言う所だから、木もいっぱいで静かな所でした。
ここは名前の乃木神社と言う通り、乃木大将を祭っています。
乃木大将って勿論名前は良く知ってる。
だけど、詳しい人物歴は意外と知らない、何故神社になっているのか?
大まかには、旅順を攻める時の陸軍大将だったって事ぐらいしか、知らない。
詳しく調べてみました。
本名は、乃木希典(のぎまれすけ)(1849~1912)です。
長州藩(支藩・長府藩の藩士の子)出身。
江戸の長府藩邸(現在六本木ヒルズ付近らしい)に生まれる。
吉田松陰を慕い16才のとき玉木文之進の門に入り文学、哲学を志し、
後に藩校の名門明倫館に学んでいる。
しかし、父希次の進言により武官の道を歩むことに。
1865年の幕府の長州征討では報国隊に参加し幕府軍と戦っているのだ。
維新後は秋月の乱、西南戦争に出征している。
西南戦争では敵・薩摩軍に軍旗を奪われるという不名誉を得、これが一生の傷となる。
1886年から1888年まで川上操六とともにドイツに留学、軍制を学んでいる。
帰国後日清戦争には大山巌大将の下、陸軍少将として出征、
当時東洋一の要塞と呼ばれた旅順を一日で攻略し一気に名を上げたのです。
1896年に台湾総督に就任。
1904年、日露戦争では、さらに強力な要塞となっていた旅順を
およそ150日に及ぶ激戦の末に陥落させている。
しかし、この戦いは大苦戦で日露戦争で乃木自身、二人の息子を失っているのです。
そして、日露戦争で多くの兵士を犠牲にした責をとり自決しようともしている。
明治天皇に止められ、学習院院長として後進の指導に当たるよう任命される。
若き日の昭和天皇も学習院で大いに薫陶を受け、
後世になって最も尊敬する人物だったと述べている。
陸軍大将となり、明治日本において東郷平八郎と並ぶ英雄となったが、
「日露戦争旅順攻落の失敗の責をとる」という名目で、明治天皇が亡くなった際に
夫人ととも自決しているのです。
死後、乃木大将は「軍神」となり東京赤坂にあった自宅跡には乃木神社が建てられたのです。
我々は、初詣と称して、部全員40~50名で初出勤の日に行って、お参りしてたのです。
また、普通の日、この前を通る時、時間があれば、けっこう参拝してましたよ。
ここには夫妻が自決した部屋が残されている。
ちなみに、近くの坂は歌謡曲の歌詞にもなった乃木坂と名づけられている。
今も在るかどうか分りませんが、近くにブライダル衣装で有名な「桂由美」のお店があったよな~。
乃木大将乃木夫妻
しかし学校では教えないし、家でも親自体が戦争を知らない。
しかし、戦争なくして歴史は語れません。
12月からNHKでドラマ「坂之上の雲」が始まります。
東郷元帥も乃木将軍も出てきます。勉強するのにちょうどいいんですがね・・・!・
戦争はよくないけど、どこの国も1度も戦争せずにずっと平和のままできた国にはない。
戦争を繰り返さないためにももっと歴史を、戦争を抜きにしないで勉強しないといけませんね・・・。
彼らが、いたから今の近代国家日本があるのに・・・。
>12月からNHKでドラマ「坂之上の雲」が始まります。
これって、楽しみですよ。
だって、1年間も待ちましたからね。
そして、当時の横浜を想定して撮影された場所が
ハワイアンフェスタをやった熊本・三角の岸壁だった事を
のちに知り、感慨深かったですよ。
坂本龍馬に始まって、この坂の上の雲に出る、秋山好古、真之
兄弟を輩出した四国って、人材が豊富だと思いましたね。
またシッカリ、見たいと思います。