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68歳現役ボーカリスト

勝海舟と長崎妻に生まれた梅太郎ってどんな人?

前回は、勝海舟の女性への甲斐性を書いたんで、長崎妻との子供である
梅太郎はその後、どうなったのか追いかけたくなった。
今日は、その梅太郎について書きたいと思います。

海舟は約3年2カ月間、長崎に滞在し長崎海軍伝習所で海軍技術を学んだ。
宿舎は本蓮寺(長崎駅から5分ぐらい)内の大乗院(現・県教育文化会館)だった。
いま、同寺の入り口には「勝海舟寓居(ぐうきょ)の地」の石碑が立つ。
これは、以前紹介したよね。

じゃ勝と長崎妻の梶玖磨はどうして知り合うことになったのか?
当時、本蓮寺に程近い西坂の小谷野家に若くして夫を亡くした梶玖磨が住んでいた。
「利口で美人」と評判だったらしい。

ある日、海舟は小谷野家の前でげたの鼻緒を切り、同家で直してもらうと大層な謝礼を置いて去った。
クマはお礼に出向き、それから2人は恋仲になったようです。
海舟は元治元(1864)年、欧米列強の長州藩攻撃を阻止するように命じられ5年ぶりに来崎した。
2月23日から4月4日まで福済寺(長崎市筑後町)に滞在し、クマと再会した。
この時、23歳のクマは海舟との間に子を身篭る。
そして、同年12月6日、海舟の三男となる梅太郎を出産したのです。

その後、玖磨は若くして亡くなり、海舟は梅太郎を東京の家に引き取り、養育した。
その梅太郎は、明治19年に米国人女性(クララ)と結婚してるのです。
クララは、父親が商法講習所(後の一橋大学)の所長兼教師として日本に招かれたので一緒に来日。

結婚したクララと梅太郎には、6人の子(一男五女)を設け、勝海舟の建ててくれた赤坂氷川町屋敷内の家に住んでいた。
しかし、勝が明治32年1月死去すると、子供の教育の為には生活力の弱い夫の梅太郎に引きずられることは出来ないと決意したクララは、14年間の結婚生活を止め離婚して、明治33年5月、6人の子を連れてアメリカへ帰ってしまうのです。
現状は彼女が、日本の明治女学校で教師をして、ずっと生活費を稼いでいたのです。

ちなみに、クララが4つ年上。
ダメな男、梅太郎をクララは、当初弟みたいな気持ちで見ていたようだ。
当時白人女性と日本男性の結婚が考えられない時代。
それも、出来ちゃった婚。
当時、クリスチャンになっていた梅太郎をほっとけなくて、結婚したのかも。

なお、1974年4月、クララと梅太郎の五女ヒルダ・カジ・ワトキンスさんが=当時(77)来日している。
その時、クララが当時つけていた日記を17冊も持ってきたので、勝の事とか、当時の事で、不明だった事がいっぱい解明出来たと書かれている。

ようするに、梅太郎はクララに見切りを付けられてる。
いい男、金と力は無きにけりだったのでしょうか?


b0181748_19431175.jpg


梅太郎と妻クララ、そして6人の子供達。
末娘、ヒルダさんは 平成8年には 100才でまだご存命だったそうですよ
こうして見ると 勝海舟の孫は みんな長生きですね

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Commented by twin-t0716 at 2010-11-01 22:48
ママンさんのところで拝見しました。
またHP飛んじゃったんですね。

駄目ですよ、チャンとバックアップしておかなくては。
懲りていないですねo(*^ー ^*)oにこっ♪

私はaibikiさんの事を教訓にそれまではバックアップしていなかったのですが、外付けのHDを買い込みチャンとバックアップ取る様にしましたよ。

また少しずつ作り直しますか?(・。・ )( ・。・)?
Commented by aibiki2009 at 2010-11-01 22:56
twin-tさん今晩は。

はははは・・、見られましたね・・。

そうなんです。
また、PCが動かなくなり、修理にだしたら、データ全部
消されました。

バックアップ取ってなかったのですよ。
懲りない男でしょう・・。
今は、忙しいから、プロバイダにそのままにしてますが
時間が出来たら、以前、あなたから教わったように
ボチボチ復元させ、今度はしっかりバックアップ取ります。

また、何か分からない時、教えて下さいね。(汗)
by aibiki2009 | 2010-11-01 19:49 | 歴史っぽいお話 | Comments(2)

還暦を過ぎても、現役ボーカリストで頑張ってます。スタンダードやハワイアンを中心に歌ってます。血液型 O型
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