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73歳現役ボーカリスト

大橋節夫さんを語る。

そろそろハワイアンの季節、久しぶりに、今日は、音楽に関する事を書きたい。
私が好きなミュージシャンの1人に大橋節夫さんがおります。
通称・オッパチとも言われ、私の母と生まれた年は同じです。
大橋節夫は大正14年生まれ。
昭和16年、わずか16歳でスチールギターを手に入れ、
ハワイアンバンドを組んだというから筋金入り。

慶大に入り、学徒出陣の前に自主レコードを制作していったというのも凄いエピソード。
日本のシンガーソングライターの元祖は、加山雄三だって言う人いるけど、違うね。
大橋節夫さんだね。
今でも、親しまれている「赤いレイ」は彼の16歳の時の作品だから。

終戦後復員し、翌年には再びハワイアンバンドをつくり、48年にハニー・アイランダースを結成。
最上級のバンドとして進駐軍で演奏をするとともに、日本のハワイアンブームの火付け役に。
大橋節夫の特筆すべきところは、自分たちの音楽をハワイアンだけに限定しなかったこと。
ジャズやラテンもこなし、シンガーソングライターとして、オリジナルもいっぱい作りました。

代表曲に「倖せはここに」であり「赤いレイ」、「グッバイ・ホノルル」などなど。
「グッバイ・ホノルル」は、我々のバンドのエンディングの曲として、今でも大活躍してますよ。
日本のフラダンス教室での基礎コースで、日本人によるオリジナル曲が使用されているのは
大橋節夫さんの曲だけじゃないのかな?

平成になってから、旧友でありバンド仲間だったジャズ・シンガーの笈田敏夫と、
お互いのニックネームを冠した「ゲソとオッパチ コンサート」で健在ぶりを示していました。
平成15年にゲソこと笈田敏夫が亡くなり、大橋節夫も後を追うように数年後の6月に逝去。
享年81歳だったです。
ちなみに、私はハワイアンのメッカ・銀座タクトで大橋節夫のライブは数回見ましたよ。
勿論バッキーさんのバンドもね。
若かりし頃の、デートの時の待ち合わせ場所が、銀座タクトでした。

我がバンドのリーダーY田は、この大橋節夫が自分の師匠だったのでしょうね。
大橋節夫が亡くなった月に、我々のバンドの打ち上げをやった時がありました。
その打ち上げをした飲み屋に、遺影として大橋節夫のポートレイトを持参し、
お酒を挙げてましたよ。

それくらいファンであり、尊敬していたのだと思います。
もう、今現在は、ほとんど戦後ハワイアン界の草分けがいなくなってしまいました。
仕方ないですね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おまけ

そういえば近所に、先生の趣味でBGMにハワイアンを流す歯科医院があるんですよ。
歯医者だけに“歯はいい”なんて・・・・・・。
こりゃまた、失礼致しました~~~。

前半は、エセル中田が歌う南国の夜、
後半が大橋節夫のグッドバイホノルルです。
タップリとお楽しみ下さいませ。


Commented by flying_alloha at 2011-04-28 16:38
いま、ユーチューブを聴きながらかいています。

私もあんまりオッパチは・・・すごい人だとは思いますが・・・!

私はハワイコールズ派です、ジュールス・ア・スィー がメチャメチャすごいです。
なんでこんな音が出るの?何十年も昔なのに?何でこんなコードで弾けるの・・・? かる~く弾いていてもズシ~ンと来るのです。
イヤーこんなすごい人がいたなんて・・・脱帽!てな、感じです、神様です、大大神様です・・・!!!
Commented by aibiki2009 at 2011-04-29 12:27
Nさんどうも。

>私はハワイコールズ派です、ジュールス・ア・スィー がメチャメチャすごいです。

そうですか?
私は、ハワイコールズのCD持ってるんで、再度聞いて
みようかな!
この人のこと、知りませんでしたよ。

ハワイの人を始め、外国の人は、コードでメロディーを
弾く人多いですよね。
だから、スティール1人で演奏する人見ましたよ。
(YOUTUBEで探しました)

by aibiki2009 | 2011-04-27 19:22 | 音楽全般 | Comments(2)

古希を過ぎても、現役ボーカリストで頑張ってます。ジャズ・ポピュラーのスタンダードやハワイアンを中心に歌ってます。血液型 O型

by aibiki2009
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