2011年 09月 30日
江戸時代、長崎だけが貿易港じゃなかった。
今日の長崎は、昨夜から雨でした。
そして、午前中も雨。
従って、今日の予定が潰れました。
だから、デイケアーが休みの母と、午後も家で過ごしております。
何とはなしに、テレビを付けNHKの教育番組へチャンネルを回す。
すると、高校講座の日本史が放送されてました。
内容も興味がわく江戸時代の貿易や鎖国のお話だ。
「お~~面白そうだ」「しばらく見ようっと」・・・・。
そして、30分番組ですが、あっと言う間に終わってしまった。
本日の題目に書いてるように、江戸時代の貿易は、長崎だけと勉強してきたが
そうじゃない、「4つの窓口があった」という講義でした。
大変、勉強になりましたので、皆さんにも紹介しますね。
その4つの窓口を紹介しましょう。
その1、江戸時代の始めの1609年、薩摩の島津氏は琉球に兵を送り、支配下に。
その後、薩摩藩は、在番奉行という役人を琉球に派遣し、政治を監督。
当時、琉球は別国。
中国の皇帝から王と認められるとともに薩摩藩に年貢を納める、
「両属」という特殊な立場だったのです。
そして、琉球国王や徳川将軍の代替わりの時には、江戸に使節を送り、
幕府に対しても忠誠を誓っていたのです。
その2 幕府の直轄地である我が長崎では、出島でオランダとの貿易が行なわれる一方、
唐人屋敷が作られ、清の商人が滞在して、清との貿易も行なわれました。
ただこれは、正式の国交じゃなく、あくまでも民間貿易として扱われている。
出島の上に中国との貿易物を入れる新地蔵がありました。
そこは今、長崎中華街となっております。
その3 朝鮮とは、対馬藩を介して唯一、日本国と外国との外交関係を保ちました。
対馬藩は、朝鮮のプサンに倭館(わかん)と呼ばれる出先機関を置き、
外交や貿易活動を行っていた。
その4 蝦夷が島と呼ばれた北海道は、南西部に松前藩領がありました。
松前藩の領地は日本国内とみなされていましたが、それ以外の「蝦夷地」は
江戸後期まで「異域」つまり国外の扱いだった。
松前藩はアイヌと交易を行ない、その結果、北東アジアを通って毛皮、
錦の着物などさまざまな産物がもたらされました。
また、昆布などは、遠い蝦夷地から中国や琉球にも輸出していたようです。
もっといっぱいのお話がありましたが、今回は「4つの窓口がどこか」を
紹介させてもらいました。
高校講座は、為になる番組です!!
皆さんもお時間があれば、是非!!
本当に好奇心旺盛ばい(*^-')b
長崎以外の貿易港ばってん、私も知ってました。
ただ、長崎は唯一江戸幕府公認だった港だったのは間違いありません。
さるくガイドの時には、そのように案内してます。
長崎の中でも公認は出島だけで、それ以外の野母崎の港等での貿易は、長崎犯科帳には密輸扱いで書いてあるそうです。
薩摩と琉球との貿易も江戸幕府は認めてなく、たくさんの間者(スパイ)を送り込んで調べてたそうです。
何だかんだ言いながら、書くネタはあるものですね。
ブログを書いているから好奇心旺盛なのか?
もともと、好奇心旺盛なのか?
どちらかわかりません!(笑)
>長崎の中でも公認は出島だけで、それ以外の野母崎の港等での貿易は、長崎犯科帳には密輸扱いで書いてあるそうです。
さすが、さるくガイド案内人のお話には、深みがあります。
長崎港に着く前に、野母崎港がありますものね。
そこで荷を降ろすこともあったのでしょうね?
長崎犯科帳と言えば、昔、県立図書館に展示してませんでしたか?
今は、歴史博物館が出来たので、そちらに展示してるかも。
長崎って、やっぱりいろいろ調べると興味が尽きない街だと思います。
今の奄美諸島や沖縄の人は、島津藩(鹿児島)からの
搾取の歴史が長かったので、今でも鹿児島人が嫌いって聞きます!
けっこう面白かったでしょう?
高校講座あなどれませんよ!
見ていて、勉強になるし、「へ~~」って10へ~ぐらい
言いましたよ。(笑)
ローカル的な事も、音楽も、歴史も適当ですが、面白おかしく
書いて行きたいです。
つまらないと思いますが、お付き合いくださいね。
訪問してくれてありがとうございます。
この時代って、現代と近いから現実味があって
非常に面白いんです。
また長崎には、その時代の資料がいっぱい
残っているので、調べるには勉強になります。
また、違う事を書きますからね。