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70歳現役ボーカリスト

長崎の古写真からーグラバーの絶頂期

1862年グラバーは、他の商社に勤務していた英国人フランシス・グルームと手を組む。
これがグラバー商会の誕生。
その後、兄のトーマスとエドワードハリソンが上海から長崎へ。
一緒に仕事をするようになる。

グラバー商会の最初の仕事は、日本茶の英国への輸出だったようだ。
そして、初期のグラバー商会発展のもう一つは、外国人居留地での借地買い付け。
文久4年(1864)までに、居留地の相当数の広さの20区画を所有していた。

b0181748_111968.jpg
グラバー邸でくつろぐ侍と傍には大砲が!
対岸に造船所が無い長崎の写真は貴重です。
ライデン大学所蔵

安政6年に条約で長崎が開港、多くの藩の若者が外国貿易の可能性を探る為に
長崎へ殺到している。
薩摩藩、長州藩、土佐藩の藩士がグラバーに接近。
将軍家以外との取引は禁止されてるのに、グラバーは法を破り応援したのです。

その後、関東で生麦事件が発生する。
薩摩藩の行列の傍を、上海から休暇で横浜に来ていた英国商人の4人が
騎馬のまま通過しようとして、その中の1人リチャードソンが切り殺されたのだ。

幕府に賠償などを求めたが無視、英国はそれではと薩摩藩に軍艦を送り談判。
しかし、決裂、その後、市中に艦砲攻撃を始めている。
薩摩藩も負けじと攻撃したようだ。
しかし、英国海軍の力を見せ付けられた薩摩藩主は、賠償金を支払うのです。

その後、グラバーが仲裁をとり、英国公使ハリーバークスと島津公を会わせている。
外国との小競り合いが終結後、日本での政情不安のため、各藩が徳川幕府との
衝突に備えるため、船、大砲、小銃、火薬、弾薬、機械類のあらゆる物に
関する注文が、グラバー商会に殺到するのです。

莫大な財産を築いたグラバーは、上海と横浜にも出張所を開く。
グラバーの絶頂期である。
しかし、トーマスグラバーは死の商人と呼ばれることもある。
彼が供給した武器で、幾多の生命が奪われたのだから。

でも、彼は当時の国禁を犯して日本人の海外渡航に強力したり、自宅に
反幕分子をかくまったり、英国留学の為に船を手配したり反幕に協力してる。

伊藤博文(右後ろ)と4人の長州藩士
1865年、英国にて
長崎県立図書館所蔵
参考文献:ブライアン・バークガフニ著 花と霜

つづく
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by aibiki2009 | 2011-12-18 12:07 | 長崎の古写真 | Trackback | Comments(0)

古希を過ぎても、現役ボーカリストで頑張ってます。スタンダードやハワイアンを中心に歌ってます。血液型 O型
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