2012年 01月 17日
やっぱり歌えませんでした!
セッティングしたり、ぶっつけ本番の演奏になるので、打ち合わせしたり
やる事がいっぱいあるんです。
だから、2時間前の11時には会場に入るようにリーダーから指示がありまして、
私がリーダーのお宅に寄って、楽器を積んで一緒に会場へと向かいました。
会場は、奇しくもマネージャーが葬儀をやった所と同じ。
出来たのが比較的新しい大橋のメモリード葬儀場でした。
マネージャーの葬儀の時も、当日が夏祭りのゲスト出演が決まっていた日。
もうバタバタで悲しんでる暇が無かったのを覚えてます。
その時、彼女も一緒に葬儀に参加してましたから、不思議な気がします。
お坊さんのお経に始まり、皆さんのご焼香、お経が終わると、弔辞です。
この弔辞は、うちのバンドのリーダーが娘さんから頼まれて皆さんを代表して読みました。
感動的な弔辞でした。
周りでは、すすり泣きがいっぱい。
次が我々の供養の為の演奏でした。
これは、彼女が生前「私の葬儀の時は、ブルーアイランダースの演奏で
送って欲しい」って、娘さんへ遺言していたそうです。
彼女の持ち歌である「夏の日の思い出」を歌無しの演奏だけで奏でました。
リーダーが弔辞でこう言いました。
「今日、伴奏するので、最後のステージだから歌って頂戴!」って・・・・。
もう、この演奏の頃から私は、ウルウル来てました。
そして、私の持ち歌である「グッドバイホノルル」へと進みました。
イントロの付近からもう込上げてました。
そして、歌い出すと、この曲の歌詞と彼女がダブルんです。
このような歌詞なんです。
1、美しい このハワイの夜 明日は東京へ帰る
忘れない あなたのことを いつまでも 消えずに
2、やさしく 慰めてくれたあなたと 明日は別れて
つらいけど 東京へ帰る サヨナラと 言わないで
3、あの月とあなたを残して 明日は東京へ帰る
いつまでも 忘れないでまた ホノルルへ帰る日まで
一番の「忘れない あなたのことを」から、もう歌えませんでした。
傍で、リーダーが一緒に歌って私をフォローしてくれました。
葬儀場で歌ったのは、この62年の人生で初めて。
音楽の力はもの凄いものがありまして、歌いながら過去の思い出が浮かんで来るんです。
もう泣けて泣けて、しばらく歌えず・・・・・・!
別のバンド経験者も参列してまして、「バンド仲間の別れは本当に辛いですよね」って
私を慰めてくれました。
彼が言ってましたが、「生演奏、感動的でしたよ」って!
「私ももらい泣きしてしまいました」って言ってくれた。
演奏はボロボロだったけど、演奏して良かったんですね!
バンドの仲間の葬儀は、もうやりたくないです。
セピア色の哀愁漂う横顔!
このドレスは棺の中の彼女に着せてました。
泣けて泣けて・・・・。
喪服で演奏って初めてです。
大村のA倉さんも駆けつけてくれて、ベースまで弾いてくれました。
A倉さんは、キャサリンの名づけ親でもあります。
霊柩車に居れる時6人担ぎ手が必要ですが、私も参加しました。
霊柩車を見送った我々は、それから楽器のかたづけ。
重たい気持ちを引きづりながら、バンドのメンバーとサヨナラしました。
バンドのみなさん、本当に健康には十分気をつけてね!
これって、私にも言えます。
彼女と無関係の私でも、参列したかったです。
お洒落なご葬儀でしたね。
あらためて、彼女のご冥福をお祈りいたします。
ai兄もお身体ご自愛ください(^-^ゞ
お洒落な葬儀でした。
ハワイアンって癒しの音楽だから、こう言うシーンには
ピッタリあうんです。
まず、葬儀で演奏することはありませんよね。
そして、音楽の種類でロックなど激しい音楽はまず無理。
葬儀場がOKしないでしょう。
静かな音楽やってて良かったです。
彼女も喜んでくれたでしょう!
残った素敵なお友達をこれからも愛したいです。
ブログをみると葬儀の様子が手に取るように分かります。
出会いがあれば必ず別れがあります、悲しいお別れですが素敵なお別れでしたね。
バンドの仲間なればこそですね、Mさん、どうぞやすらかに・・・
ご冥福をお祈りします。
Nさん有難うございます。
彼女もきっと喜んでいると思います。
>悲しいお別れですが素敵なお別れでしたね。
私も葬儀はいっぱい出席してきました。
そして、自分の父親が亡くなった時でも泣きませんでした。
しかし、音楽っていじわるです。
心のなかに、どんどん入ってきます。
今まで一緒に何回もステージで歌ったり演奏したり
した曲を聞くと、もう込上げてきてしまいます。
でも、出席した方から、感動しましたって。
もうこの言葉で救われました。
半年の間に2人も仲間が逝くのはキツイです。
しかし、残された我々もいつかは逝く訳ですから
今をいっぱいエンジョイし、悔いの無い日々にしたいです。
お互い、若くは無いのですから、体に気をつけましょうね!
訃報が入った時はびっくりしました・・・
まさか、まさか、、、って(T_T)
すこしMさんとの思い出をコメントさせてください
ライブ旅行の時はいつも同じ部屋だったので おしゃべりするのが だ~い好きだったのです
私もマイペースで行動する方ですが 私以上にマ~イペースなMさん
なので時にはリーダーに怒られたり~なんてこともありましたが どこ吹く風って感じで 美しく着飾って現れる姿が少女?みたいで 登場したとたんに空気を持っていくような華やかさがとてもステキな方でした
体調が悪くて欠席がちだったのですが 早く復帰して欲しいな~と心から思ってました
いないとバンドの温度が下がるというか あったかさが足りなような そんな気分がしたので。
演奏しながら涙がとまらなかったですが 天国でもキレイに着飾って大好きな歌とダンスを楽しんでいることでしょうね
演奏がMさんまで届いてますようにヾ ^人^♪
日曜日の昼に訃報の連絡を貰って、今日でもう5日過ぎました。
初めて訃報をリーダーからもらった時、あなと同じで声も
出ませんでした。
いわゆる、絶句というやつですよ。
御通夜の時もつのる話をいっぱいしました。
でも、本葬の日は、やっぱり色々な人が来てたし
まわりでもいっぱいすすり泣き。
そう言う状態で、バンド演奏だから、「夏の日の思い出」で
もうウルウルだったんです。
でも、頑張って歌おうと思った「グッドバイホノルル」だったんです。
でも、イントロが流れたら、もう込上げて込上げて!
サビの忘れないってところでもうダメでした。
音楽が流れると、さらに心に刺されました。
モデルも経験した素敵な彼女。
彼女と一緒に接した時間は、きっと私が一番長かったと思います。
だって、何かがあると諫早の自宅まで送るのは、私の担当。
その間、喋りっぱなし。
家に着いても車から降りないくらい喋ってましたから。
とにかく、彼女が喜んでくれたと思いましょうね!
合掌
お綺麗であこがれてました。信じられないですよね。ずっと忙しくてブログ拝見してなくて、知りませんでした。小浜のお仕事って、それも知りませんでした。お忙しいようで、気持ちの整理も大変だと思いますが、素晴らしいステージをする事がMさんへの供養になると思います。頑張ってください。
ご無沙汰です。
いつも一緒でしたから、もうショックで!
彼女との思いではつきません。
だから、供養の演奏ではまったく歌にならなかったです。
込上げて込上げて・・・・・。
涙が出てダメでした。
そうですね。
いつまで出来るか分かりませんが、頑張ります。