人気ブログランキング |
ブログトップ

70歳現役ボーカリスト

日本を追放されてからのシーボルト!

シーボルトは、文政11年(1828)9月、5年間の日本研究を行って帰国予定でした。
そして、帰国予定の1ヶ月前の8月初旬、長崎港に停泊していたオランダの船には、
シーボルトの蒐集品がすでに積載されていたんです。
不幸にも、そのとき台風が到来し、船は港の岸壁に打ちつけられ、シーボルトの
大切な搭載品が流出したのです。

その中に、日本地図や葵ご紋入りの紋服など多くの禁制品が積まれていました。
厳しい取り調べで、多くの関係者が逮捕され、シーボルトも、1年以上調べられて、
日本から退去させられたのです。
日本を追われてシーボルトはしょぼんとしていたかというと、そうでもない。

帰国した翌年にはオランダ領東インド陸軍参謀部付を命じられる。
そして、『日本動物誌』と『日本植物誌』を次々に完成させている。
また、シーボルトは48歳のときにオランダで結婚しています。
お滝やイネと別れて17年後の遅い再婚でした。

b0181748_1464390.jpg
                 晩年のシーボルト!

そして、日本が開国し追放令が解除されると、63歳になっていたシーボルトは、
長男アレクサンダーを伴って来日し、30年ぶりにお滝とイネに再会するのです。
イネは、もう33歳になっておりました。
一緒に来日したアレキサンダーは、まだ13歳のころだった!

 
b0181748_2293192.jpg
                  次男ハインリッヒ!

長男アレクサンダーは、その後日本に残り、幕末から維新にかけて通訳として
活躍したり、外務大臣・井上馨の秘書なども務めるなどして
明治政府の外交に携わり40年余りに渡って活躍するのです。

また、父親の影響を受けて日本に憧れていた次男ハインリッヒも、長男アレキサンダーが
母国に帰った時、一緒に連れて来て来日すると、オーストラリア・ハンガリー帝国大使館の
通訳として日本にとどまった。

兄とともに外交に活躍する一方、遺跡の発掘などに取り組み、
その後、日本に初めて「考古学」を根付かせ発展させたといわれます。
さらに、次男ハインリッヒは日本人女性、岩本はなと結婚しますが、長男誕生の際には
イネが赤ん坊をとりあげています。
何という、運命なんでしょう!

2度目の日本訪問のシーボルトは、3年程の滞在だったようです。
老人になったシーボルトは、長男を日本に残して、長崎からヨーロッパへの船に乗る。
翌年にはオランダでの仕事を辞めて、ドイツの生まれ故郷ビュルツブルグに帰っている。
その後、1866年にシーボルトは70年で生涯を閉じているのだ。
そして、ちなみに、2年後には日本の妻だった、瀧も亡くなっている。

シーボルトが日本追放で終わりじゃ無く、その全生涯は、ほとんどを日本とかかわった
人生だったと言えます。
さらに息子2人も日本と関わり、大きく貢献したのです!

トラックバックURL : https://aibiki.exblog.jp/tb/20237457
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
Commented by パパリン at 2013-04-06 06:48 x
おはようございます。
追放後再度日本に来た事は知っていましたが、息子、孫などの話は初めて聞きました。

功罪ごった煮でしょうが色々絡みがあったんですね。
勉強になりました。ありがとうございます。
Commented by aibiki2009 at 2013-04-06 18:44
パパリンさんどうも!

せっかく長崎に住んでるから、長崎の歴史を調べてますが
住んでるのに知らないことだらけです。
このシーボルトのことだって、追放後のことは全くしらないから
今回調べました。

知らなかったことがいっぱいだったです。
おそらく、東京近辺に、このシーボルトの血を引く
子孫が住んでると思いますよ!

イネの娘、高子の子供からの子孫も多くいます。
ここが基本ラインとして、楠本さんがいます。

二男のハインリッヒが日本女性と結婚したことで生まれた
子供の流れもあると思うのですが。
Commented by flying_alloha at 2013-04-08 17:06
ai さん、どーもです。

シーボルトは私はあまりよく知りません。

伊能忠敬の日本地図なども持ち出し、日本から追放されたことで、あまりいいことはしてないのかな?といった印象です。

ai さんの、ブログですこし、勉強になりました。

歴史のある長崎に住んでいて、勉強することが楽しいのではないですか?

私は宮崎で、やはり神話に関することに興味がありますもの・・・

” 祓 詞

掛介麻久母畏伊邪邦岐大神築紫乃
日向乃橘乃小戸乃阿波岐原爾
御禊祓閉給比志時爾生里坐世留祓戸乃大神達諸諸乃禍事罪穢有良牟乎婆
祓閉給比清米給閉登曰須事乎聞志召世登恐美恐美母曰須 ”

って、よめますか?
Commented by aibiki2009 at 2013-04-08 19:26
Nさんどうも!

私は長崎に住んでいて、歴史的に面白い長崎の地元の事を
ほとんど知らないのです。
だって、地元のことをあまり知らない18歳くらいで東京へ
行ったので、ほとんど勉強出来てません!

だから、今になって勉強してます。
これが、けっこう楽しいんですよ!
「へ~~、そうだったんだ?」って思うことばかり!

宮崎のこの漢字の羅列は何ですか?
神様のお言葉ですか?(汗)
Commented by 関口忠相 at 2013-05-27 03:08 x
aibiki2009さん

先祖シーボルトの件にご興味をお持ち下さり、また私どもに繋がるハインリッヒ、岩本はなの事までもお書き下さいまして有難う御座います。
私どもは、ハインリッヒと岩本はなの子供蓮(レン)、その娘綾子(アヤコ)、その息子忠志(タダシ)、そして私へと繋がり東京にて暮らしております。
父、忠志はハインリッヒの研究家としても活動しており、2008年のハインリッヒ没後100年の記念年には記念シンポジウムが各地で開催されまして、日本シーボルト協会も設立されております。
こちらにはHPも御座いますので、是非ご覧下さい。

この度は有難う御座いました。
Commented by aibiki2009 at 2013-05-27 18:12
関口忠相様へ

いや~~恐縮でございます!
シーボルトの血を引く、ご子孫様からわざわざコメントを
頂くなって、本当に有難うございます。

私は東京に35年住んでおりましたが、親の介護が必要になり
長崎にUターンしたんです。
長崎のことを知らないままに、東京生活を続けたので帰って来て
今、長崎の事を知らなければと、勉強しております!
その一環としてシーボルト記念館へ行きました。
そこにあった、次男ハインリッヒ氏の写真を見て、その後の
皆さんはどうしてるんだろう?って思ったのです。

血が繋がっている関口忠相様からのコメントは嬉しかったです!
長崎に住んでいて良かったです!
有難うございました!

by aibiki


Commented by かごめ at 2018-07-06 17:43 x
明治の日本ってドラマチックな人生がたくさん有った。
まるで映画のような人生。素晴らしい。その時々人々は苦労をしたに違いないが、それを超える結果が残されている。
また、日本人が早期に国際的に活躍したことも嬉しい。
明治の人は多くの価値あるものを現代に残している。
感謝。
by aibiki2009 | 2013-04-05 17:33 | 歴史っぽいお話 | Trackback | Comments(7)

古希を過ぎても、現役ボーカリストで頑張ってます。スタンダードやハワイアンを中心に歌ってます。血液型 O型