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69歳現役ボーカリスト

深く調べてみる・島原の乱!~3

次に、島原での、切支丹弾圧にも触れておきたい。
もともと島原は切支丹大名の有馬氏が収めていたことは、最初に書いたが
そのために、教徒は多かった。

重政が島原に来るにあたり、幕府内から「切支丹対策を強くしろ」と言われていたが
重政は処置はまだ緩やかで、彼が赴任する2年ぐらい前は、幕府直轄地だったので
長崎奉行が直接島原の行政を見ていたが、切支丹弾圧は相当なものだった。
だから、人々は緩い統治に意外に感じていたようです。
有馬で捕えられた宣教師も殺されることなく、城内に呼び、いろいろ話をしてる。
この重政を見て、「島原の新しい領主は寛大だ」と言われだし、宣教師などが
島原を慕ってやってきてる。

しかし、この重政が激変するのである!
それは、彼が参勤交代で江戸に行き、3代将軍家光と接見した時のこと
「何を手ぬるい事をしておるのか」と激しく叱咤されてからなのです。
島原に帰国するや、自身の保身の為、家老に切支丹大弾圧を命じたのです。
宣教師を丁重に扱った同じ人物が、人間が考える事が出来る限りの残忍な
方法を次々に考えだし、棄教の為の拷問と、人殺しを始めたのです!

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「針刺し責め」「硫黄責め」「子責め」「温泉地獄責め」「木馬責め」
「竹のノコギリによる斬首」「焚殺・いきなり火で殺すのじゃなく、ある程度
距離をおいて火を焚き長く苦しませて殺す」などなど。
また雲仙温泉地獄に連れて行き、熱湯をかける、苦しんで死んだら地獄になげ捨ててる。

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そして重政の息子、勝家は租税を納められない者は切支丹同様とみなし、なぶり殺す。
農民を柱にしばり箕を着せ火をつけて、箕が燃え上がり人が苦しむのを面白いと
この刑に箕踊りと名をつけてる。(映画にもなった)
酷い大名を持った島原半島の悲惨さを調べると可哀想で、身の毛もよだつし涙が出るよ!
長崎での切支丹弾圧も酷かったけど、ここ島原は更に凄いことやってると思う。
ここまで追い詰められたら、魚でも陸を駆けるのではないか!いやほんと!!!!

このように、島原の乱の直前には、心の中は別にして、もう切支丹は存在しなかった。
恐怖政治によって、誰もが棄教していたし、宣教師も殺され、又は追われていて
一人もいなかったのである。
しかし、「島原の乱は、切支丹一揆である」、こうする事が幕府には都合が良かった。
切支丹は恐ろしいものであるとすることで、乱の鎮圧に参加した各地の武士にも
禁教訓練にもなり、この禁教の徹底が全国に広がり幕末まで続くのである!

最初の所で書きましたが、搾取され、嫁も殺され、また食い物も無く
「どのみち死ぬのだ」と言う気分なった人々が遂に爆発。
水責めで嫁を殺した税取り立ての「宗甫と言う家老」の宿舎に取り巻きが火をつける!
この段階で農民は7,8百人になっていて、家老の宗甫は島原城に逃げた。
農民は追ったが、道々で人数は増え、城下に突入した時は数千になっていたようだ。

城からは、城門を閉ざし鉄砲を撃った。
1637年の10月下旬のことで、その時、城主の勝家は、江戸にいたのです。
蜂起の段階では、宗教色は無かったが、一揆が形成されていくにつれて
結束の為もあり、彼らは切支丹に戻ったのです。

その後、積極的に切支丹色を強めて行ったのありました。
島原の乱として歴史に残る出来事となるのだが、寛永14年10月25日
(1637年12月11日)に一揆が勃発したのです!

つづく
参考資料 街道をゆく 島原・天草の諸道、 島原合戦記 作者不詳(志村有弘)
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Commented by パパリン at 2014-10-17 07:31 x
おはようございます。
元々は信長は世界情勢が知りたく宣教師を優遇していましたが秀吉の時代にはキリスト教に乗っ取られるという心配からか禁教にしました。
家康の時代にはまた情報収集などから緩められその後禁教に。
九州の大名も新しい武器や情報が欲しいため段々深みに入ったんでしょうか。
島原の乱は確か宗教的な乱でなかったような記憶があります。幕府が鎮圧目的に使っただけだったような。?

宗教はやはり一度はまると中々改宗は難しいようですね。宗教かどうか解りませんが未だにオーム真理教は活動しています。洗脳を解くのは難しい。
Commented by flying_alloha at 2014-10-17 10:06
ai さんどーも!

いやですねー、人間はもともと残虐なのでしょうねー!?
我々もそのうちの1人ですよ!

人間の歴史は戦争の歴史、国と国とは勿論、1人1人が敵対し、親子、兄弟でもいがみ合い、殺し合いをする動物なんですね・・・!
そう考えるとむなしくなります。

そこでハワイアン・・・音楽はいいです。
人を和ませ、癒しを与えてくれます。

世の中平和でありますように祈るばかりです。
Commented by aibiki2009 at 2014-10-17 20:00
パパリンさんどうも!

調べ出すと、止まりません!
そして、その一揆の背景まで調べないといけなくなり
こうして、長い長い島原の乱になってしまいました。

できるだけ、分かり易い言葉に変えて文章にしてますが
読むのは、ほんと疲れると思います!
当時の人がキリスト教に洗脳されたのかは分かりませんが
心のよりどころで、殉職すれば、キリストと同じになれると
死をおそれなかったは凄いです。
Commented by aibiki2009 at 2014-10-17 20:11
Nさんどうも!

調べると、人間が考えることが出来る限りの残虐な拷問が
この島原で起こってます。
長崎の拷問も酷かったけど、島原は更に凄い拷問ですよ!

長崎には温泉地獄は無いのですから、この熱湯をかけたり
最後には叩き込んだり、又、宣教師を雲仙地獄に連れて
行く時、途中の休憩した場所で、耳を削ぎ落したり!

今でも、地名に耳落し峠って言うところが残ってます。
命令とは言え、よくここまで鬼になれますよね!
あの雲仙、島原一体には、悲劇の魂がユラユラと
今でもいっぱい飛んでるって言う人もいますよ!

Commented by パパリン at 2014-10-18 07:39 x
おはようございます。

>心のよりどころで、殉職すれば、キリストと同じになれると死をおそれなかったは凄いです。
この戦いで亡くなった方はキリスト教では殉教扱いではないと記憶していますが。
Commented by aibiki2009 at 2014-10-18 10:09
パパリンさんどうも!

そうなんです!
殉職扱いじゃないのです!
長崎での26聖人は聖人扱いですが、ここ島原の乱では
司祭も神父もいなくなっており、教会の法理的立場から言えば
正規の信者ではなく、信仰集団扱い。

彼らの死は、ローマに報告されず、殉教扱いされなかったのです。
何せ、異常とも思える大人も子供も、女も老人も、37000人総て皆殺しです。
そして死体は、野ざらしのまま!
by aibiki2009 | 2014-10-16 18:16 | 歴史っぽいお話 | Trackback | Comments(6)

還暦を過ぎても、現役ボーカリストで頑張ってます。スタンダードやハワイアンを中心に歌ってます。血液型 O型
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