2015年 06月 28日
普段の生活と、入院生活の違い!
普段、不規則な生活だった私には、1番大変なことであった。
まだまだ夢の世界である朝の6時になると、眠くても起こされる!
朝飯は、8時からでしたが、その後の2時間の間に、また眠くなる!
それは、寝るのが遅かったし、しっかり寝てないからだった。
朝飯が午前8時、昼食は12時、そして夕食が6時!
普段、朝飯は食べず、朝、昼飯兼用の食事を10時頃取っていたので
3度、3度の食事は、ある意味苦痛で、最初の頃は、すべて半分ぐらい残していた!
しかし、夕食の午後6時から翌日の午前8時まで14時間も食事がとれない。
そして、間食が無いので、徐々に朝飯が食べれるように!
3食食べているのに、体重は減りだした。
病室は、個室だったお陰で、他人の事を気にせずに済み、相部屋だと、
とかく苦戦するイビキなどに苦労せずに寝れたが、なかなか寝れない日々だったです!
病院の消灯は9時だけど、個室の私は、12時過ぎても寝れず、小さくラジオ
などを聞いて、眠りが来るのを待ってました!
ある程度、好きなように夜が過ごせたのは、個室だったお陰!
次に、最初の頃は、フラフラ状態が続いたので、しばらく風呂にも入れなかった!
普段毎日のようにやってる事が出来ないストレスってキツイのです!
暫く風呂に入って無いから気持ち悪いと訴えると、フラフラの頃は、風呂場に
車椅子で連れて行ってもらい、介護士が一緒に付いてくれて、いろいろ手助け!
幼い頃の過去に覚えがあるくらいで、久しぶりに他人に体を洗ってもらった!
近い将来に来る老いでの、介護の予行練習をしてるって、その時は思いましたよ(笑)
後半は、ある程度元気になったので、普通に1人で入浴出来るようになりましたけど!
病状が安定してくると、血を作るのが仕事、点滴と食事のみ、1番辛いのがヒマすぎる!
普段の生活のように、PCが出来る訳ないし、車を運転して出かける事も無いし
楽器を練習する事も出来ないし、ガーデニングする事も無く、グランドGも出来ない
そして、外出禁止なので、ウォーキングも出来ず、イライラの日々!
やる事は、BSが映らない民放のみのテレビを見るか、本を読むくらいだったです!
元気があるな~と思う時は、リハビリ部屋があるので、自転車漕ぎや電気マッサージを!
この頃になると、元気の目安の「ヘモグロビン」の数値が6から9まで上がって来た!
だけど、標準の14以上までは到達して無いので退院許可は以前おりない!
1ヶ月が過ぎ兎に角、退院したいだけだった!
つづく
病院の生活、大変みたいですね!
私は一日入院だったから大したことは大したことは無かったけど、40日ともなればうんざりだったでしょう!?
このコメントはタブレットで書いています。函館です、そして雨です。少しだけ夜景が見えました。
おこないはいいと思うんですが・・・!
詳しくは帰ってからブログで報告しますね!
えっ、もう北海道なの? 行くとは聞いていたけど!
それも、親父のふるさとの函館?
小さい頃、進学する時、戸籍謄本が必要でした!
謄本は本籍地しか取れないので、函館市役所に封書で
お願いの手紙を出したものです!
函館出身の親父は、戦争で転々として長崎で母と
知り合い結婚したんです!
その親父も、私らが作った長崎の墓に眠ってます!
入院生活に不平を言えるのは元気になった証拠でしょう。(笑)人間はわがままなの物で生きるか死ぬかの状態で入り少しづつ元気になると医者の言う事、感謝は忘れ自己本位になるようですね。
私が言うのもおかしいですが生かされているという言葉をもう一度!!
此処は俎板の鯉と諦めお医者さんのいう事を聞いた方が本当は良いのですが。
たしかに、その通りですね!
生きるか、死ぬかって騒いでいる時は
ヒマなんて考えもしなかったのに!
そして、フラフラが治まる事を必死で願い、静養してました!
少し回復しだすと、何かをしたいとか、ヒマ過ぎるとか
愚痴が出るようになりましたから!
その後は、ちゃんと真面目に毎日病院へは点滴を打ちに
通ってますから!
数字的には、少しは改善してると思います!
もう少しだと思います!