2016年 02月 04日
姿三四郎のモデル西郷四郎と長崎の関係!
1882年(明治15年)上京し、陸軍士官学校の予備校であった成城学校(新宿区)に入学、
天神真楊流柔術の井上敬太郎道場で学んでいる間に、同流出身の嘉納治五郎に
見いだされ、講道館へ移籍している。
その後、講道館四天王の一人となり、富田常雄の小説『姿三四郎』のモデルに
そして、その柔道技の山嵐が有名になった。
まず、この動画をご覧ください!
彼は、1902年(明治35年)、福島県出身の鈴木天眼が長崎で
東洋日の出新聞を創刊すると、同新聞の編集長として長崎へ来ているのだ!
仕事をしながら、長崎で柔道、弓道も指導したようです。
また、先日書いた、長崎のねずみ島での水泳教室で長崎游泳協会があるが、
その創設に鈴木天眼とともに関わり、同協会の監督として日本泳法を指導してるのです。
1922年(大正11年)12月22日、病気療養のため滞在していた広島県尾道で死去。
没後、葬儀は長崎で行われ、講道館から六段を追贈される。
西郷四郎自身の体格は、かなりの小柄ですよ!
身長が五尺一寸(約153cm)、体重は十四貫(約53kg)だったと伝ってますから。
四郎が眠っているお墓は、私が在籍していたハワイアンバンドのリーダーY田が
眠っている菩提寺と同じ、大光寺なんです!
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ご心配おかけしました。
いとこの葬儀も無事にすみ、少しほっとしています。
いとこといっても私と20もちがいます。
家族が娘2人しかいなかったので、頼りにされていました。
しかし、いずれわが身、出来ることはやっておかなければ・・・とつくづく思いました。
あすはバンド協会の新年会、いつまで続くかわかりませんが、がんばらなくっちゃ・・・汗
葬儀お疲れ様でした!
そしていとこさんは、20歳も違うと言う事は、
まだ50代でしょうか!
早くに亡くなったのですね!
娘さんも、Nさんに頼るの分かります!
お父さんの代理をやったようなものですね!
Nさんは、まだまだ長生きしてもらわないと困ります!
九州のハワイアンバンド界のリーダーみたいなものですから!
新年会、楽しんで下さいね!