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70歳現役ボーカリスト

2012年 01月 24日 ( 1 )

母の絶頂期!

私が東京で大学を卒業した後、銀座のクラブで歌手活動しましたが
時代を読んで、さっさと足を洗いサラリーマンとなり、次は社会人バンドで活動をした。
前回、ここまで書きました。

その頃、長崎の地元で母は何をしていたのでしょう。
若い頃、地元長崎で歌手活動をしていた母。
当時、主な仕事は、戦時中と言う事もあり、慰問が多かったようです。
それと、東京から地方巡業に来ていた有名人歌手の前歌もやったようだ。
渡辺はま子、藤山一郎さんなどの、前座をやったことがあると聞きました。

私のルーツでもある母は、根っからの歌い手であり、音楽が好きな人なのです。
私は、その血を受け継いだのだと思います。
おもにクラシックのソプラノの勉強をしていた母は、当時のご時勢から歌謡曲を
主に歌うようになっていった。
その母が、子育てが終わった50代過ぎから、民謡をやりだしたのだ。

えっ、あの人が民謡を?
最初聞いた時、信じられなかった。
そして、楽器はいっさいやってなかった人が、三味線もやりだしたのです。
あとで聞きましたが、それは大特訓したようです。

歌はもともとバッチリの人だから民謡の歌を歌えて、三味線が弾けるようになりたかったそうだ。
この両方がバッチリの人って少ないようです。
三味線が弾けるか、歌うかのどちらかですって!
三味線は藤本流と聞きます。

私が東京在住のころ、試験を受けるために上京した時は、東京駅まで迎えに行ったものです。
母は、100万円で買ったと言う三味線を引っさげて新幹線で来ました。
「スゲ~~、そんな高い楽器を買ったのか?」会うそうそうヒガミましたよ。(笑)
そして、試験会場を一緒に下見してあげたこともありました。
当時は、杉並区にその会場はありましたっけ!

試験は合格し、遂には、三味線の名取りまで、登りつめるんです。
そして、看板をしょって、自宅がある長崎で民謡教室を始めました。
と同時に、地元テレビ局のKTNで民謡講座教室の先生までやるようになりました。

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中央が当時の私の母です。
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自分の教室の発表会での様子。
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自宅前にあった生徒募集看板です。
遠く、大村からも習いにきていたようだ。
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藤本流の名取りの木札と一緒に。
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母の絶頂期だったと思います。
あっちこっちの会場で発表会をやったと聞きました。
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やっぱり、この頃が一番輝いていたんです。

今、私がやってる音楽の種類は違いますが、子供の頃から母の歌をいっぱい聞いて育った。
だから、懐メロをいっぱい知ってます。
民謡教室をやっていた絶頂期は10年ぐらい続きました。
でも、その後、親父が倒れ入院するのです。
母は、教室を1次中断して、看病の毎日が始まったのです。

母は70歳になってました。
by aibiki2009 | 2012-01-24 16:57 | 母の事 | Trackback | Comments(8)

古希を過ぎても、現役ボーカリストで頑張ってます。スタンダードやハワイアンを中心に歌ってます。血液型 O型