2011年 01月 31日
訃報・大学時代ハワイアンをやった同級生が逝った。
悲報を書かなければならなくなりました。
人生って儚いです・・・・。(涙)
私は大学時代、ハワイアンバンドをやってました。
大学のサークルでのことです。
そのバンドの17代目のリードボーカルだったのです。
このバンドは、和田弘とマヒナスターズのリーダーだった和田さんが作ったと
言われているがOBには、プロの山口銀次さんなど、戦前からの人もいた伝統ある
ハワイアンサークルだったのです。
大学のサークルが、そのように歴史があるサークルとは、当時知りませんでした。
私はビートルズ世代なので、ハワイアンに興味があったわけじゃない。
音楽サークルなら、ある意味どれでも良かったのです。
でも、春の入学後のサークル会員勧誘の時、ここに入部したのは、先輩からこのサークルから
沢山のプロミュージシャンが出ていると説明を受けて、「なかなか歴史があるサークルだよな~」「ひとつ勝負してみるか・・・」これだけで入部したのが本音だったです。
もちろん、和田弘とマヒナスターズは当時から知ってた事もありましたけど。
それ以来、今の61歳の現在まで40年以上も、ハワイアン音楽と関係するとは・・。
当時、考えもしなかった。
その時、一緒に入部したのが、福島県いわき市出身のF川君だった。
担当は、ギターだった。
ヤマハのギターを弾く彼の姿は、今でもハッキリ覚えている。
実際に一緒に過ごしたのは、大学の4年間だけだが、OBとして関係はずっと続いた。
彼は、実家が本屋さんと玩具屋だった。
そこの1人息子で跡取りだから、大学を卒業すると家業を継ぐため、福島県に帰った。
私は、東京で就職したので、私が東京時代は、ちょくちょく会うことは出来た。
OB会で会ったり、彼の親が亡くなった時も福島まで葬儀出席のために出かけたものです。
実家があるJR常磐線の常磐湯本駅は、映画「フラガール」の舞台となった常磐ハワイアンセンターのすぐ傍だったので大学時代には、実家へ招待してくれて、ハワイアンセンター(今はスパリゾートハワイアンズ)へも連れて行ってもらった。
まだ開園して数年の頃だったから、とてもお客さんがいっぱい入ってました。
当時、1ドル360円の時代で経費がかさみ、本物のハワイへは行けなかった。
でも、ここでも雰囲気があり、十分堪能させて貰いました。
その内、また行きたいと思っていたんですよ・・・。
そう言う思い出がいっぱいの彼が、30日に亡くなったのです。
彼の奥さんから連絡が来ましたが、もうこの世にいないなんて。
今年のお正月に、メールの交換を3回したのが、最後となってしまった。
「南国の夜」「さんご礁の彼方に」「ブルーハワイ」を一緒に演奏したのは遠い昔だ。
時の流れを感じてしまう。
死因は、急性大動脈解離と言う、私と同じで、心臓関係の病気とのこと。
石原裕次郎がなった病気と言えば、分ってもらえるでしょう。
トイレに行って、なかなか帰って来ないので行ってみたら倒れてて、そのまま亡くなったとの事。
学生時代、苦楽を供にした同級生が、ついに亡くなった。
まだ還暦を迎えたばかり、驚きとともに、非常に悲しい・・・・。
この世でハッキリしてるのは、命は無限じゃなく、いつかは終わるってことを実感。
テニスをしていて倒れ、救急車で運ばれた私。
ひとつ間違えば、私が先に逝ってたかもしれない・・・・。
私としては、もう一つもらった命のような気持ちです。
彼の分まで、大切に生きないと・・・・。
天国に行ったF川君に合掌。

右端でギターを弾きながら、歌っているのがF川君です。
丸で囲んでいるのが大学生当時の私です。